よく晴れた日、湘南江ノ島にて
左:片岡翔、右:松本大洋
ぬいぐるみが「生きてるかもしれない」って想像すること
—— 片岡さんは、子供のころにぬいぐるみを大事にされていたとおっしゃいましたが、具体的にはどんなふうに?
片岡翔(以下、片岡) 父が人形屋っていうのと関係あると思うんですけど、僕の家は6人きょうだいで、全員に1体か2体ずつ、小さいころから相棒のぬいぐるみがいるんですよ。さすがに、僕も思春期から20歳過ぎくらいまでは相棒を放ったらかしていたんですけど、大人になってから「なんか大事だな」って思い直して、どんどん愛着も湧くようになって。
—— 大人になってからまたぬいぐるみを大事にするようになったというのは、どういう心境の変化なんですか?
片岡 たぶん、母親との接し方と似てるんじゃないですかね。つまり、思春期の男の子って、母親と一緒に行動するのを嫌がるじゃないですか。だけど、大人になると母親孝行したくなるみたいな。
—— なるほど。照れがなくなるっていうのはあるかもしれないですね。
片岡 まあ、そういう風に我が家では、それぞれのパートナーのぬいぐるみを大切にする風習がなんとなくあって。
そもそも『さよなら、ムッシュ』のきっかけになったのが、3人いる姉のうち2人が「自分が死んだら、ぬいぐるみも一緒に焼いてほしい」って言ったことなんですね。要は火葬するとき、棺に相棒を入れてほしいと。
松本大洋(以下、松本) そういう話はわりと聞きますよね。
片岡 でも死んだときに相棒を一緒に火葬してもらうって、僕からしたらちょっとありえなくて。たしかに、たとえば僕が死んだらそのクマは誰からも大事にされずに、ヘタしたらゴミとして捨てられちゃうのかもしれないけど、やっぱり焼かれてしまうのは絶対に嫌だと思ったんです。
松本 うちにもぬいぐるみとか、人形はけっこうたくさんあります。まわりの友人たちの子供もかわいがってるし、ああいうのって捨てられないですよね。なかなか人形をこうポイって燃えるごみに出すってなかなかできなくて。それはおもしろいなあと思って。
片岡 だから『さよなら、ムッシュ』は、「自分が死んだあと、大事にしていたぬいぐるみをどうするか」っていう話でもあるんですよ。
松本 人形で思い出したんですけど、僕が大学に入って、一人暮らしをはじめたとき、家賃を大家さんだったおばあさんに、直接手渡ししてたんです。
で、その大家さんの家にはすごい数の人形が置いてあって、僕が毎月家賃を持って行くと、大家さんの隣には毎回違う人形が座っていて……、当時はそれが怖かったなって(笑)。
片岡 それって日本人形ですか?
松本 フランス人形です。大家さん自体は怖い人じゃないんですけど、やっぱり大人が人形をお友達のように抱いていたら、「おや?」ってなるじゃないですか。
ただ、そういう存在を必要とする気持ちはわかる気がするんです。なんというか、この世界からの避難所みたいなものとして機能しているような。
片岡 避難所?
松本 たとえば子供のころ、学校に行くとギャーギャーうるさい友達がいるから、どこかでそれとは違う世界を構築しようとする感じ。
いま僕は大人になって漫画を描いているけど、どこかで漫画に逃げ込む感じがあって。だから漫画は手放せないですね。そういう避難所みたいな感覚を、片岡さんの小説からも感じるというか、そう解釈して「わかる、わかる」って思って読んでたところもあります。
片岡 なんていうか、愛着のあるぬいぐるみが「生きてるかもしれない」って想像するのって、すごく良いことなんじゃないかなって思っていて。なんとなく人を傷つけるってことをしない気がしてくるんですよ。そういう想像力があるってことは。
世界を変えるんじゃないか、と思っていた頃
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