夏期講習の物理で使用されたプリント
私が都立高校の教員となったのは、1987年のことです。まだギリギリ、時代は昭和でした。
新任として配属された学校は、今で言う〝教育困難校〟でした。都立有数の名門に位置づけられる日比谷高校とは、正反対の学校です。
男子の多くは、バイクで崩れていく。クラスの一定数が暴走族に所属していて、交通事故で死んでいく子もいました。
近隣の中学校で番長(当時はまだ存在していました)だったような子たちが集まっていますから、入学したての4月、5月は毎年、勢力争いが起こって血が流れます。
女子の多くは、恋愛関係で崩れていきます。妊娠がきっかけで学校を去る子もいました。男子と女子を合わせて、年間に90人くらいが退学する学校でした。
でも、そこに集まっている教員たちは、すばらしい先輩ばかりでした。子どもたちと真剣に向き合い、職員室全体でスクラムを組んでやっていける集団でした。
私の原点であり、教育者としての在り方を決定づけてくれた場所だったと思います。
今にして思えば、問題を抱えた子どもが集まっていた分、教員たちのほうが結束する必要があったのかもしれません。もしかしたら当時の教育委員会が、学校を建て直そうと優秀な教員を多く集めていたのかもしれない。真実はわかりませんが、まだ若く未熟だった私は、その学校でたくさんのことを学ばせてもらいました。
その中で、特に貴重な経験となったのが、授業の進め方を学べたことでした。
いわゆる教育困難校の子どもたちというのは、「黒板に向かい、チョークで板書しながら解説する」授業では、ついてきてくれません。私は物理の教員でしたが、自分が高校時代に教わっていたようなやり方は、まったく通用しないのです。
いきなりの挫折です。
自分なりの勉強が始まりました。ほかの先輩教員たちに、授業を見せてもらいました。どの教科の担当教員も、快く見せてくれました。物理の学会にも入りましたし、教員のサークルにも入りました。
そしてわかってきたことは、教育困難校であれ、進学校であれ、子どもたちを惹きつける授業は同じだということです。
もちろん、同じやり方がそのまま使えるというわけではありません。教育困難校と進学校では、授業のペースも違えば、扱っている問題の難易度にも大きな差があります。
しかし、授業のベースにあるスタイルは同じなのです。
「なぜ」を問う勉強が子どもを惹きつける
私が導き出した授業のスタイルとは、言葉にすると単純です。
楽しい授業であること。これに尽きます。
では、「楽しい授業」というのは、どんな授業でしょうか。
それは、知識や情報を伝えるだけでなく「なぜ」を問う授業です。
「なぜそうなるんだろう?」
「Aだからじゃないか」
「いや、Bかもしれない」
「Cとも考えられる」
「そんな考え方もあるのか……」
「では、この場合はどうだろう?」
そんなふうに、教員と子どもたち、あるいは子どもたち同士の双方向のやりとりがあり、「面白い!」「もっと知りたい!」「もっとやりたい!」と心をかきたてるような瞬間のある授業。知的好奇心を刺激する授業。つまり、学ぶ心に火をともす授業です。
授業が「もっと学びたい!」と子どもの心をかきたてるものになれば、子どもたちはこちらが「やりなさい」と言わなくても、おのずと勉強するようになります。
これは単なる理想論ではありません。私が30年間の実践を通して辿り着いた普遍的な結論でもあります。
では、対極にある「楽しくない授業」とはどんなものか。それは、教員が自分が持っている知識を、ただ一方通行で子どもたちに伝達するだけの授業です。
日本の教育現場では、いまだに多くの教員たちがこのスタイルを脱せずにいますが、仮にそうした楽しくない授業を行う教員が日比谷高校に来たら、「楽しい授業」ができるようになるまで、私はとことんかかわっていきます。
「楽しい授業」の話に戻りましょう。
先ほども言ったとおり、私の専門教科は物理です。物理の授業で子どもたちに興味を持ってもらう具体例はたくさんあるのですが、たとえば私はよく授業で次のような問題を出していました。
〔問題〕 体重が同じAさんとBさんが、崖の上に立っています。 2人は今から、「いっせーのせっ!」で飛び降ります。 ただし、Aさんはそのまま真下へ、Bさんは水平方向へ真っ直ぐ飛び出します。2人が同時に飛んだとき、どちらが先に地面に着くでしょう?
みなさんはどう思いますか?
子どもたちからは、実にさまざまな意見が出ます。
「下に行く人よりも、真横に飛ぶ人のほうが、描く軌道が長くなる。だから、軌道の長い人のほうが時間がかかると思います」
「でも、落ちていくときの速さは同じなんだから、地面に着くタイミングも同じじゃないの?」
「地球からの引力は同じだよね?」
「いやいや、同じ速さで落ちるなら、なおさら移動する距離が長いほうが不利だよ」
ほぼ意見が出尽くしたと感じたら、私が入っていきます。 「はい、じゃあ意見も出揃ったようなので、実際にやってみよう。誰か飛び降りてくれる人は手を挙げて!」