『メッセージ』
TOHOシネマズ六本木ヒルズほかにて全国ロードショー中
配給:ソニー・ピクチャーズ/監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ/出演:エイミー・アダムス、ほか
■テッド・チャンという言語の翻訳
優れたSF小説が優れたSF映画になることはめずらしい。ましてや、技巧を凝らした先鋭的な現代SFが、テーマとプロットを正当に引き受けて映画化され、しかも傑作になった例は絶無である。『メッセージ』までは。
テッド・チャンの中篇「あなたの人生の物語」を映画化した『メッセージ』は、昨年9月に完成し、ヴェネツィア国際映画祭を皮切りに世界中のイベントで披露されたあと(東京国際映画祭を含む)、11月から1月にかけて世界中で公開された。5月19日の日本公開は世界で最後の公開となる。
内容については、アカデミー賞で作品賞を含む8部門の候補になったのを筆頭に、世界中の映画祭・映画賞で高い評価を受けた。4千7百万ドルという製作費はメジャー配給のアメリカ映画としては中クラスで、それに対する興行収入の世界合計が2億ドル近いので、興行的にも大成功といえる。
ハリウッドの製作会社の作品なのでアメリカ映画だが、監督をはじめスタッフの中心はフランス語圏カナダ人で、撮影地もモントリオール。実態としてはカナダ映画ともいえる。シリアスなSFの試みは、国外製作だからこそ完遂できたのかもしれない。
原題が「あなたの人生の物語」から Arrival に変更されたのは「SFらしくない」「見る前に内容の一部がわかってしまう」といった理由からだという。そのままの邦題にならなかったのは『アライバル 侵略者』(1996)との混同を避けたのか。フランスとポルトガルでは『ファースト・コンタクト』に改題されたが、それよりは『メッセージ』のほうが良いと私は思う。
映画の内容に触れるまえに、映画化が実現するまでの流れを整理しておこう。
27年前にデビューし、たった15篇の中短篇を書いただけで、現代SF最高の作家のひとり、とあいかわらず目されているのがテッド・チャンである。ワールドコン(Nippon2007)で来日したときの若々しい風貌を憶えている人も多いだろうが、1967年生まれというから今年でもう50歳になる。
「あなたの人生の物語」は、7年のブランクのあと1998年に発表された4作目で、チャンの評価を決定付けた傑作。短篇集の表題作になっているのも納得の代表作といえる。
これに惚れ込んだのが、新進脚本家のエリック・ハイセラー。90年代からゲームのシナリオ、ネット小説で成功していた彼は、『エルム街の悪夢』(2010)、『遊星からの物体X ファーストコンタクト』(2011)の脚本をリライトしてハリウッドに進出。会う人ごとに「あなたの人生の物語」を売り込んでいたが、じっさいに作品を読んで返事をくれた唯一のプロデューサーがダン・レヴィンだった。
レヴィンは、監督として『灼熱の魂』がアカデミー賞候補になったばかりのカナダ人ドゥニ・ヴィルヌーヴに白羽の矢を立てる。ずっとSF映画を監督したいと思っていたというヴィルヌーヴも、原作に夢中になるが、どうやったらこの小説を映画向けに〝こじ開ける〟ことができるかわからなかったという。
いっぽう、レヴィンから映画化の申し出を受け、参考作として『灼熱の魂』のDVDを受け取ったテッド・チャンは、それがハリウッド映画でもSF映画でもなかったことに驚き、初めて企画を本気で受け取る気になった。脚本家ハイセラーがチャンに会い、最大の変更点に合意をとりつける。原作では通信装置を介してコンタクトするのみだった異星人と人類を、じっさいに会わせたい、異星人が地球に着陸する設定にしたい、という提案だった。またチャンはそのまま設定面の相談を受けることになり、原作者としてだけでなく、5人いる科学・工学アドバイザーの筆頭にクレジットされている。
ヴィルヌーヴが『プリズナーズ』と『複製された男』を撮っているあいだ、ハイセラーは時間をかけて脚色にとりくみ、ついに小説の殻をこじ開け、その心臓を腐らせずに脚本に移植することに成功する。脚本に衝撃を受けたヴィルヌーヴは『ボーダーライン』が終わったらすぐにこれを監督すると決意。主演俳優はエイミー・アダムス以外に考えられないと主張する。アダムスは脚本を読み、休養期間を切り上げて出演を快諾する。
と、まるでわらしべ長者のような、とんとん拍子の実現で、ハリウッドにありがちな企画の迷路に入り込むことがなかったわけだが、これはやはり原作のもつ力と、ハイセラーの努力の賜物だろう。映画が完成したとき、原作の発表から18年たっていた。
■もはや始まりも終わりもない
さてここからは、映画と原作の中核部分に触れるので、未見・未読の方はぜひ先に作品を体験してほしい。