『シックス・センス』(’99)のヒットで注目を集めた、M・ナイト・シャマラン監督の最新作が『スプリット』である。『シックス・センス』以降もユニークなアイデアで観客を楽しませてきたシャマランだったが、2010年以降、『エアベンダー』(’10)『アフター・アース』(’13)と、ファンの期待に応えられない低迷の時期が続いた。しかし、彼ほんらいのスタイルに戻り、小規模かつ低予算で撮影した『ヴィジット』(’15)では、ついに本領を発揮。シャマラン第2期の開始を予感させるフィルムを完成させた。続く本作『スプリット』もまた非常に充実した内容であり、彼の完全復活は間違いないと言えるだろう。
今回のテーマは多重人格。友人の誕生会に参加した3人の女子高生は、見知らぬ男に誘拐され、拉致監禁されてしまう。やがて3人は、誘拐犯の奇怪な行動から、彼は多重人格者であると気づく。23の人格を持つとされるその男は、無垢な少年、柔和な成人女性、潔癖性の男性と、めまぐるしく人格を変化させていく。顔を合わせるたび別人に変わる謎の誘拐犯を前に、戦慄させられる女子高生たち。果たして3人の少女は、監禁部屋から脱出できるのか。
まず何より圧倒されるのは、さまざまな人格をみごとに表現するジェームズ・マカヴォイの演技力である。人格ごとに異なる顔つき、声色、口ぐせや身のこなし。彼の内面が別の人格に切り替わるたびに、物語は混沌を増していく。険しい顔つきで少女を拉致する男性の人格があらわれたかとおもえば、拍子抜けするほど幼い9歳の子どもの人格に切り替わる。そこで観客は、緊張と緩和の激しい落差に唖然とさせられるのだ。劇中、ヘドウィグと名付けられた子どもの人格が、誘拐された少女にダンスを披露する場面において、緊張と緩和の落差は最大となり、観客は苦笑するほかなくなる。シャマラン作品以外では味わえない、忘れがたいシーンとなっている。
しかしなぜ、多重人格とはこのように魅惑的なのか。考えてみれば、社会生活においては誰しもが、その場にふさわしい態度や立ちふるまいを無意識に選択するものである。場に応じた態度の切り替えは、さまざまな人格を設定して演じわけることに近い。誰もが、生きていくためには少なからず自分自身を制御し、場にふさわしい人格を演じなくてはならない。それゆえに、多重人格がもたらす独特の孤独感は、実は誰しも他人事ではないのだ。
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