第一回 生意気な〈新弟子〉

ここ数年、演芸ファンの注目を集め続けている男がいる。
神田松之丞、1983年生まれの33歳。90年代以降、東京の講談界では入門者の多くが女性であり、日本講談協会にも、もう一つの講談団体である講談協会にも、彼以降に入門して現在まで現役でいる男性講談師は二人しかいない。一時期の松之丞は「東京で唯一の二十代男性講談師」だった。

「中村仲蔵」(「神田松之丞独演会」2017年3月27)より於・紀伊國屋ホール/撮影・青木登(新潮社写真部)

 神田松之丞が日本講談協会の重鎮、三代目神田松鯉に弟子入り志願したのは二〇〇七年十月三十日、大師匠の二代目神田山陽の命日のことだった。久しぶりの男の弟子を迎え入れた松鯉は、その指導役を当時二ツ目だった弟子の神田きらり(現・神田鯉栄)に託した。松之丞は素人時代にきらりの会に足を運んだことがあった。客の立場として聴いたこともある人から教えを受けるのは、不思議な感覚だったという。

「最初に『私のことは姉さんと言いなさい』と言われたんですが、それにすごい抵抗あって。姉さん、というのがいかにも、芸人でござい、という感じで嫌だったんです。まだ素人の青臭い自我があった。きらり姉さんも当時言ってました。とにかく生意気で、世の中のこと何でも知ってるみたいな顔してふんふん言ってるっていうイメージだったと」

 日本講談協会の前座として登録された松之丞に、きらりは一から十まで仕事を教え込んだ。だが、松之丞はいい教え子ではなかった。

「もう一瞬でわかったんですけど、前座仕事が向いてないんですよ。まず、着物を畳めないんです。僕、脳内が方向音痴なんですね。折り紙なんかもそうで、空間の把握能力がないんで、結果がどうなるか想像できないんです。きらり姉さんには『この世界、一回教わったらそれで終わりなんだ。二回目はないんだから何度も聞いちゃいけないんだよ』と言われたんですけど、何十回もそのルールを破った気がします。非常に前座仕事に不向きな感じでしたね。でも、僕は内心では、日本講談協会には男の弟子が必要なんだろう、みたいな感じの空気を出してる(笑)。たち悪いですね。だから普段優しい姉さんにも呆れられて『おまえは自分をゼロにするんだ。それがまず第一歩だ』と言われました。それが大事なんだとわかったのは二ツ目になってからで、前座時代は反発ばかりですよ、何言ってやがんだと思って。例えば、嘘をつくなと言われれば『人間は嘘をついていかないと生きていけないもんだろう、嘘をつくなって、つまんないこと言うなよ』って嘯いてる。でも、芸人で嘘をついて保身に入るやつって全く信用されないんですよ。結果、姉さんの言う通りなんですよ。『しくじったら謝れ、それですべて許される世界なんだから。特に前座っていうのは、怒られるのが仕事だ』と。にもかかわらず保身に走るのは卑怯者のすることだし、誰も認めない。そういう理屈がわかるまで時間がすごいかかりました。『俺は高座がすべてだと思ってるのに、こんな前座修業のような無駄なことをさせて』という変な反発がありましたね」

 その自信には一応根拠があった。松之丞は大学時代に芸人になることを決め、客の立場であらゆる高座を見まくっていたからだ。その蓄積が、芸を見極めるセンスとして自分には備わっていると松之丞は考えていた。しかし、彼に対して先輩たちは厳しかった。「こいつはまったくわかってない」と。

「というより、そういうわかってないやつにだからこそ厳しくしたんでしょうね(笑)。着物を畳むのは本当に苦手で『なんで動画とかで教えてくんないんだろう、動画で撮れば空間把握能力ない俺にもわかる、もっと効率よくすればいいのに』とか思ってました。今考えるとそういうもんじゃないっていうの、わかるんですけど」

 前座は修業中の身の上だから、たとえば打ち上げなどに連れていかれれば、率先して働く義務がある。その気配りも松之丞にはできなかった。

「僕はそもそも学生時代、人と飲んだこともあんまないので、水割り自体もよくわからないわけですよ。水で割るなんて、カルピスしかやったことがない(笑)。そこからなんです。とにかく社会性がないと言われました。もちろん、前座という身分がどういうものかという知識は耳学問で何となくあったんですけど、現実にオジさんが鼻かんだ紙を捨てろと言われれば、奴隷に落ちたみたいで嫌になる。こんなに青雲の志を抱いてる俺がなぜだ、と頭が悪い子みたいにこっそり思っていた。今にして思えば、みんな異常に温かったんです。そういう僕を『馬鹿だね、こいつは』って受け入れてくれていた」

 前座が二ツ目に昇進するためには、四年の修業期間を必要とする。その四年が当時の松之丞にはもどかしい長さと感じられた。逆に言えば、そこに怒りをぶつけることで自分を保っていたのかもしれない。
 前座の生活は、落語家であろうと講談師であろうと変わらない。定席と呼ばれる定期開催(落語の場合は毎日)の楽屋に入って雑用を務めるのが第一の任務だ。その仕事は多岐にわたり、興行開始から終演までの進行に関わることのほか、楽屋入りした師匠連の着替えの手伝いなど、付き人のようなことも務める必要がある。それを少ない前座がすべてこなすのだ。しかも、一般社会の常識とは逆に、指示を受けたこと、教えられた内容をその場でメモすることは許されない。ノートに書くにしても、隠れてやらなくてはいけないのだ。

「次々に出番が来るから、その間にすべての準備を終わらせなくちゃいけない。先生(講談の敬称は師匠ではなくて、こう呼ぶ)によって着物のしまい方も違うんですよ。それをまず覚えなきゃいけない。自分の着物すら危ういのに、高い絹でできてたりすると皺が入っちゃうかもしれない。すごい大変な作業でしたよね。着付けも手伝わなくちゃいけないんですけど、当時から一人で着替えりゃいいじゃんか、と思ってました(笑)。これが時間との戦いで、冬だとまずジャンパーを脱ぐ。それを掛けるじゃないですか、ハンガーに。その間に、別の服を脱いでもらう。それを受け取ってまた次、ってやっていくんですけど、単調にやっていたら間に合わなくなるので、どこかで時間を稼がなきゃいけない。『この人は、ここんときはゆっくりになるから時間が稼げるぜ』みたいに覚えたり(笑)。ゲームの要領ですよね。完全に。これも実は、できない前座に合わせて向こうがゆっくり着替えてくれていただけなんですけど。向こうに気を遣わせていた前座だった。最低ですよね」

 松之丞の師匠である松鯉は日本講談協会と同時に落語芸術協会(芸協)にも籍を置いている。東京には落語協会、落語芸術協会、五代目圓楽一門会、落語立川流と四つの落語家の団体がある。日本講談協会に属する松鯉一門は落語芸術協会と近く、両方に籍を置いている者も多い。
 入門から半年後、松之丞は落語芸術協会にも所属することになった。全員で二十人程度の日本講談協会からすれば、落語芸術協会は比べものにならない大所帯だ。ようやく慣れてきたところでもう一度出発点に戻されたようなものだが、幸い前座仕事の基本は共通していた。そして、講談師ではなくて落語家という違いはあったが、境遇の同じような前座が他にも大勢いた。こうして、日本講談協会では孤独だが芸協では大人数の中で日々を送ることができるという掛け持ちの修業生活が始まった。

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新潮社
2017-05-19

この連載について

神田松之丞“絶滅危惧職”講談師を生きる!

yom yom編集部

ここ数年、演芸ファンの注目を集め続けている男がいる。 神田松之丞、1983年生まれの33歳。90年代以降、東京の講談界では入門者の多くが女性であり、日本講談協会にも、もう一つの講談団体である講談協会にも、彼以降に入門して現在まで現...もっと読む

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コメント

chisneysea 初めて新宿末廣亭にいったときにドキドキしたひと #神田松之丞 #講談師 #雷電初土俵 #またききたいな #まだ若いんだなぁ https://t.co/jBFELNwiv5 2日前 replyretweetfavorite

pingpongdash 昨日、バンドサークルの先輩と、ロンドンのハンバーガー屋で、松之丞さんの話をしていた。 4日前 replyretweetfavorite

from41tohomania 新潮社「yomyom」連載の松之丞さんのインタビューがcakesでも読めるようになりました。本日第1回が掲載です。 4日前 replyretweetfavorite

cinebook18 こんなの始まってる。掲載週なら無料で読める☆ #mj954 4日前 replyretweetfavorite