倉木麻衣のやらされてる感がそれじゃない感

今回の「ワダアキ考」は歌手の倉木麻衣。デビューから18年、400万枚を売り上げた1stアルバムのころのような勢いは見せなくとも、休むことなく活動を続けています。先日出演した『ミュージックステーション』では、十二単姿も披露したそうですが、妙な違和感を抱いてしまう人も少なくないのでは。そのもやもやを、武田砂鉄さんが解き明かします。

むしろマーケティング臭を欲する

倉木麻衣は1982年10月28日に生まれていて、自分はその翌日に生まれている。我ながら「だから何だよ」と思いつつも、彼女を見かける度に、この人の翌日に生まれたんだな、と思う。それ以上の広がりなどない。十数年前にADをしていた映像制作会社では彼女のライブ作品を継続的に手がけていたから、彼女のライブに複数回出向いたが、そこでも、この人の翌日に生まれたんだな、と思ったものの、それ以上の広がりなどあるはずもなかった。

彼女が出てきた当初、周囲がプライベートを秘匿し、それを開示しようと意気込む外的プレッシャーを跳ね除ける、という旧来の管理を機能させていた。決して声量が豊かではない彼女の声は、その実態の見えなさとリンクするかのようだったし、強気を全面に漂わせるディーバの潮流に巻き込まれないようにする差別化を、消去法によって獲得していた。手厚いフォローによって担ぎ出された新人がアーティスト性を打ち出すためには、出かける前に玄関でリセッシュをかけるようにマーケティング臭を消してから面前に立たなければならないが、倉木麻衣はむしろ玄関でマーケティング臭をかけてから出かけていった。言わずもがなそれは、彼女がデビューするまでの10年ほどで、自身の所属するBeingグループが体得してきた手癖の総結集であり、清々しさすらあった。

「積極的に議論をしない」という停戦状態

デビュー当初こそ、『HEY!HEY!HEY!』で浜田雅功が宇多田ヒカルに向かって「あのさぁ、最近、お前のパクリが出てきてるやん。あれ、どう思う!?」と尋ねるなど揶揄の対象にもなっていたが、徐々に秘匿方針が緩和され、テレビに出始めるようになってからは、その対象から外れてきた。歌唱力が十二分ではなくとも歌い回しには特徴があるし、大勢の耳に馴染む曲を量産してくれる体制の中で、潮流を嗅ぎ取りつつ、その音楽性を少しずつ変化させてきた。普段、「可もなく不可もなし」という言葉は、議論を落ち着かせるために使われる言葉だが、彼女に対する評価って熱烈なファンを除けば「可もなし」か「不可もなし」のいずれかであって、それが「積極的に議論をしない」という停戦状態を生んでいる。

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ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

武田砂鉄

365日四六時中休むことなく流れ続けているテレビ。あまりにも日常に入り込みすぎて、さも当たり前のようになってしったテレビの世界。でも、ふとした瞬間に感じる違和感、「これって本当に当たり前なんだっけ?」。その違和感を問いただすのが今回ス...もっと読む

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コメント

yomco ややこしいわ 約2年前 replyretweetfavorite

kuramotojyukubt #スマートニュース 約2年前 replyretweetfavorite

Josephine_smk 今回も面白すぎて唸る。「その英語要るのか、と聞かれたら、要らないと即答できる性質の英語」のところで爆笑。 【 約2年前 replyretweetfavorite

nishiaratter さすがの面白い考察。「正解が近くにある気がするけど、それじゃないから気になっちゃう」とはまさに→ 約2年前 replyretweetfavorite