おそらく、地球が終わってもブスは生きると思う
今回のテーマは、「ブス進化論、ブスの誕生〜進化、ブスがブスになるまで」だ。
まず「ブスがブスになるまで」で、最初から最後までブスであることをバラすという、ロマンの欠片もない仕様だ。
しかし、これを読んでいる皆さんは、このブスが46億年の時を経てどんなブスになるか、興味津々という方がほとんどだろう。それ以外は、すでにブラウザを閉じるかPCを破壊しているからだ。わかる、時間は大切だ。
だが、このブス進化論の誠実なところは、地球が始まってから終わるまで「ブスはブスだ」と言っている点である。おそらく、地球が終わってもブスは生きると思うが、「人は生き方次第でブスにも美人にもなる」などという、センスがない母ちゃんの弁当に入ってる豆みたいなヌル甘いことは言っていない。
ブスはブス。「どうあがいても絶望」という、ゲーム『SILEN』のキャッチコピーは、ブスの顔を見て思いついた。という、今思いついた事実無根の噂がある通り、根本は変わらない。
しかし、そのような考えは世の中では支持されない。
もちろん、努力の大切さをないがしろするのは良くないというのはわかる。だがそれ以上に物が売れなくなるという問題がある。
商業には「ブスを治す」というジャンルが確かに存在し、しかもかなり太い。ブスは断じて、なんとかできるものではくてはいけないのだ。
よって上記のような説を唱える者は、異端審問にかけられ、ガリレオのように「それでもお前はブスである」と、ただの悪口を言って去るしかない。