ムッシュはしばらく呆然としていたが、いつまでも星太朗が戻ってこないので、痺れを切らして廊下に出た。星太朗は洗面所にも、お風呂場にも、トイレにもいない。どうやらおじいちゃんの部屋にいるようだ。
この家には居間と星太朗の部屋の他にもう一つ、日当りの良くない四畳半の部屋がある。おじいちゃんの部屋といっても、もちろんそれは生前の話だ。今は物置と化したその部屋には、滅多に開かれない本がびっしりと並び、ジグソーパズルの箱が山積みになって、壁に貼られた昭和のスターたちが笑顔を振りまいていた。
二人だけの生活が始まったときに、星太朗はそこをムッシュの部屋にしようと言ったが、ムッシュはそれを断った。この小さな体には、こんなに広い部屋は必要なかったし、なにより、一人で寝るのが嫌だったからだ。
もちろん星太朗にはそんな本音は伝えていない。
こんな部屋にいたらカビ臭くなっちゃうよ。
そう言ってヒゲをムズムズ震わせた。
ムッシュはその部屋に入るのをやめ、散らばったトランプをまとめると、お道具箱から折り紙を出して謝罪文を書いた。
『ごめん』『ぼくが悪かった』『星太朗を喜ばせたくて』
まずは本心を書いてから、
『手元が狂っちゃって』『目がかすんで』『眠くて』
と強引な言い訳に差し替えて、
『8がぼくを呼んでいたんだ』『末広がりだから』
しまいには意味不明な言葉で誤摩化そうとしていた。
他にも思いつく限りの言葉を並べてみたが、どれもしっくりこない。くしゃくしゃに丸めた折り紙が溜まっていき、虹色の山ができる。
それを見ていると、自分がとても阿呆に思えてきた。
全部をゴミ箱に放り込んで、おじいちゃんの部屋へ向かう。
そっとドアを開けると、星太朗は隅っこで体育座りをして、漫画を読んでいた。
「ねぇ、もう一回やろ?」
駄目もとで誘ってみるが、返事はない。
星太朗はムッシュを見もせずに、漫画を閉じるとすぐに次の巻を読み始める。
それは小学生のとき、一緒にゲラゲラ笑ったギャグ漫画だった。
星太朗はくすりともせずに、黙々とページをめくっていく。そのペースはとても速く、ムッシュが入り込む隙なんか、これっぽっちも無いとでも言っているようだ。
ムッシュは諦めて居間に戻り、力なくソファに転がった。
うつ伏せになると、体の毛がもわりとべたつく。
「雨か……」
そうつぶやいて、そのままそこで寝ることにする。
電気が点いたままだったが、消す気にはならなかった。
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