なぜ彼は、ババ抜きで120連敗もしてしまったのか

星太朗には、ババ抜きをするときの癖がある。ムッシュはその癖に気づいていたので、今まで負けたことがなかった。けれども、いい加減に星太朗を勝たせてあげたい。そう思ったムッシュは、ある行動に出る。
ぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語小説『さよなら、ムッシュ』を特別掲載!
イラストは、なんと松本大洋さんの描きおろし!

 星太朗の帰りが遅いので、ムッシュは心配していた。

 検査結果が芳しくないのは目に見えている。星太朗は覚悟ができていると言っているが、人の心はややこしいものだ。そんなに単純なものではないことを、ムッシュは理解していた。

 七時を過ぎてからは、お母さんの本を読んでも物語が頭に入ってこない。同じ行を何度も読んでから、やっと次の行へ進む。そんなことに時間を費やしていると、重いドアが開く音がした。

「おかえり。遅かったね」

「あぁ」

 星太朗は手を洗うと、すぐに部屋に入った。

「ご飯は?」

 ムッシュが聞くと、

「食べてきた」

 という言葉だけが、襖の向こうから返ってくる。

 ムッシュはそのふた言だけで、結果が良くなかったこと、さらに星太朗の気持ちがまだ整理できていないことを知る。

 本を置いて襖に手をかけるが、思い留まって手をおろした。

 中の静けさが、入ってこないでと言っているような気がしたからだ。

 それからしばらくすると、星太朗はすっと襖を開け、いつものようにトランプを出した。お母さんの物語がやっと動き出したところだったが、ムッシュは待ってましたとばかりに本を閉じて、勝負の場につく。

 トランプを配っているときも、ペアを捨てていくときも、星太朗はずっと無言だ。いつになく真剣な様子なので、ムッシュも本気で勝負に臨むことにした。

 三巡目でババを引かせることに成功すると、それからは常勝パターンだ。あっという間にカードが減っていき、星太朗のカードは残り二枚になる。その間も星太朗は口を開かなかったが、そのぶん、目は多くを物語っていた。

 ぞくっとする気迫のようなものを感じる。目を逸らすと、壁には百二十の棒線ででき上がった、二十四の星がある。たくさんありすぎて、もう収まりきらなくなっていた。

 ムッシュは再び星太朗の目を覗き、そのまま手を伸ばした。

 星太朗の目が、ぴくっと右に揺れる。

 星太朗には癖がある。ムッシュがカードを引こうとするときに、必ずババを確認してしまうのだ。それがどんなに微かな動きでも、ムッシュは見逃さない。

 右のカードに手をかける。

 はっと、星太朗が小さく息を呑むのがわかる。

 そのまま引き抜くと、それはババだった。

「うわ!!」

 ムッシュはババを放り投げて、床に突っ伏した。

 このときのために、密かに練習してきた悔しがり方だ。

 予定通りにババを引いた。

 心の中で喜びながら、体中で悔しがる。

「よしっ!!」

 星太朗は心を落ち着かせようとしながら、嬉しそうな声を漏らす。ムッシュの芝居は見抜かれていないようだ。

「ちょっとタイム」

 星太朗は台所に行って麦茶を注ぎ、それをゆっくり飲み干した。戻ってきて正座をすると、ムッシュが両手に掲げたカードを見比べる。

 8を引けば、星太朗の初勝利だ。

 左に手をかけると、ムッシュの眉(は無いけれど、そのあたりの毛)がちらりと動く。右に手をかけると、ヒゲの先がふわりと動く。

 ムッシュは珍しく、緊張していた。

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さよなら、ムッシュ

片岡翔

あの日。気がついたら、その子は話しはじめていた。コアラのぬいぐるみのはずなのに。 それ以来、彼はそのことを20年間秘密にして、生きてきた――。 気鋭の新人映画監督・片岡翔が初めて小説『さよ...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 3年以上前 replyretweetfavorite