まぁ、ちょっとおかしな子ではあったけど、相手は小学生だ。変なことに巻き込まれることはないだろう。それに試してみたいこともある。
星太朗はそう思い、九時まで待つことにした。
駅前の古ぼけた本屋でムッシュに新書を買ってやり、その向いの喫茶店で過ごすことにする。
だいぶくたびれた喫茶店だったが、薄暗い照明にうっすら流れるジャズがマッチしている。カフェではない。まさに喫茶店。だからといってコーヒーはべつだん美味しいわけでもなかったが、星太朗にとってもムッシュにとっても、そこは居心地の良い空間だった。
ムッシュはリュックの中で、〈聞き流す力〉という新書を読みふけっている。星太朗は図書館で借りていたミステリィ文庫を読む。500ページを超える分厚いものを持ってきたのは正解だった。
九時前になり、コーヒーとナポリタンの代金を払って店を出る。
「聞き流す力、どうだった?」
星太朗が聞くと、ムッシュは眠そうに答えた。
「聞き流すべき内容だったよ」
それからムッシュの文句が止まらなくなり、星太朗はそれを聞き流しながら動物園の正門にやってきた。
そこは全くひと気がなく、夏とは思えないほど寒々しい空気が流れている。
「こんな時間に、どうすんだろ……」
星太朗は弱音を吐く。昼間は色鮮やかだった門が闇に染まっているのを見ると、やっぱり、来たのは間違いだったような気がした。
「きっとお父さんが飼育員なんだよ。それでこっそり入れてくれる」
「だといいけど……」
風が吹き、木々のざわめきに星太朗の声がかき消される。
そのとき、背後からぼわっと光る顔が現れた。
「うわっ!!」
二人は声を上げて驚き、ムッシュは袋の中で跳び上がる。
そこにいたのは夢子ちゃんだった。懐中電灯を下から照らした不気味な顔で、にやりと笑っている。
「ちょっ、びっくりしたぁ……」
星太朗は芸人ばりのリアクションを見せたが、夢子ちゃんはすぐに真顔に戻った。
「なんか今、二人の声聞こえなかった?」
「え……? いや、そんな、怖いこと言わないでよ……」
星太朗はわざとらしく辺りを見回す。これもテレビで見たようなリアクションだ。
「あれ、夢子ちゃん一人? こんな遅くに大丈夫?」
話を変えたのはわざとではない。素直にそう思ったからだ。
すると夢子ちゃんは歩き出し、振り返らずに言った。
「大丈夫だよ。今日は一人じゃないから」
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