「夜の9時に動物園で待ってる」と自称魔法使いの少女は言った

コアラと遊ぶ願いを叶えようとするぬいぐるみのムッシュだったが、檻の前から人が捌けないため、なかなか檻に近づけない。檻の下の通気口から入るという、ムッシュが考えた手段は難しそうだった。困り果てた星太朗とムッシュに、ある一人の少女が救いの手を差し伸べる。夜の9時に、門の前にきて。少女はそう言うと、星太朗とムッシュを置いてどこかに去っていった。
ぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語小説『さよなら、ムッシュ』を特別先行掲載!
イラストは、なんと松本大洋さんの描きおろし!

 人がいない隙に、ガラスの檻の下にある通気口から忍び込む。

 ムッシュはそんな単純な計画を立てたが、朝から人の波は留まることがなかった。午後になっても増える一方だ。それに寝てばかりいるコアラを見ていると、つい自分もうとうとしてしまう。おかしな女の子のせいで、星太朗に話しかけることもできない。

 二人はしかたなくコアラ館を出て、しばらく動物園を満喫することにした。

 紙袋の穴から覗くと、それに収まりきらない大きさのゾウが目に飛び込んでくる。

「大きいなぁ」

「でっかいなぁ」

「ビッグだなぁ」

 ムッシュは次々に感嘆の声を上げるが、内容はどれも同じだ。星太朗は何も言ってこない。返事は控えているようだ。ただムッシュの言葉の数だけ頷きながら、ゾウが見えるベンチに腰掛ける。それから売店で買ったフライドポテトと、家から持ってきたおにぎりを食べた。ずいぶんと遅いお昼になったので、食べるペースは速かった。

「巨大だ……」

「ジャイアント……」

 その間も、ムッシュはずっと同じ内容を繰り返していた。

「ムッシュから見たらもっと大きいんだろうな。怪物みたいに見える?」

 星太朗が小声で話しかけてくる。

「怪物には見えないよ。大きい動物は、みんな穏やかだからね」

「そうかな」

「そうだよ。実在する怪物は、みんな小さいやつらばかりだよ」

「例えば?」

「うーん、いろいろいるよ」

 ムッシュは袋の中からひょこっと顔を出した。

「スズメバチはめちゃくちゃ獰猛だし、オニヤンマはスズメバチすら捕食するし」

「え、オニヤンマって、トンボでしょ?」

「そうだよ、穏やかに見えて凄いんだ。なにせ名前が、鬼だからね」

「へぇ。知らなかった」

 星太朗は感心しながら、ムッシュをそっと押し込んだ。

 隣のベンチにおじいさんが座ったのだ。

 けれどムッシュはおかまいなしに、袋の中で話し続ける。

「でも一番恐ろしいのは、軍隊アリだね」

 おじいさんはゾウに見入っている。星太朗はそれを確認して、「アリ?」と言葉を返す。

「やつらは凶暴なのに賢いから、手が付けられないんだ。なにせ軍隊だからね。ぴったりの名前だよ」

「そうなんだ」

「やつらが小さくて、よかったよほんとに」

 ムッシュがそう言うと、おじいさんが振り向いた。

 じっと、ゾウを見るのと同じような目を向けてくるので、星太朗は逃げるように立ち去った。

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さよなら、ムッシュ

片岡翔

あの日。気がついたら、その子は話しはじめていた。コアラのぬいぐるみのはずなのに。 それ以来、彼はそのことを20年間秘密にして、生きてきた――。 気鋭の新人映画監督・片岡翔が初めて小説『さよ...もっと読む

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