うでの毛、さわさわ。

演劇界のみならず、さまざまなカルチャーシーンで注目を集める演劇作家・藤田貴大が、“おんなのこ”を追いかけて、日々、悶々とする様子をお蔵出し!「これ、(書いて)大丈夫なんですか」という女子がいる一方で、「透きとおった変態性と切なさが最高」という強い味方(又吉直樹さん)もいるエッセイに、乞うご期待。女子に耳を澄ましながら、目を凝らしながら。ふかい森を行くようなかんじ――でスタートします。

うでの毛がほかの女子よりも比較的、濃い女子がいた。ぼくはそのころ、13歳だった。うでの毛が印象的な彼女と、窓側の席で隣り合わせだった時期。季節はちょうど秋くらいで、窓から吹きこむ風で彼女のうでの毛がさわさわとなびくのを、ぼくはジッと見つめていた。体育祭の準備をしているあわただしいグラウンドからは、にぎやかな音。教室にいても聞こえてくるくらいだから、それは学校全体を振動させているのだろう。英語の教師が黒板にチョークを、しゅるしゅると滑らすのを。彼女は熱心に目を離さずに、そして同時にシャープペンシルをノートに走らせていた。産毛とは言えない存在感のうでの毛を、かきわけていくと透きとおった色白の肌に辿(たど)りつくはずだ。ぼくは黒板になんか、目もくれずに。彼女のもりのなかに迷いこむ。

13歳のぼくはついこないだ、うっすら生えてきた「ひげ」と呼ばれる毛を剃(そ)った。はじめて自分で自分の鼻のしたに、剃刀(かみそり)をあてたのだ。その剃刀をぼくに買い与えてくれたのは母親だった。母親はぼくにこう言った。「わたしのおかあさんは、つまりあなたのおばあちゃんは、なかなか剃刀というものを買ってくれなかったの、だからなかなか毛の処理ができなくって、学校で男子にバカにされて。嫌な思いをしたことがあったのよね」。彼女のうでの毛がどうやらとても愛おしいのかもしれない。彼女のお母さんも剃刀を買ってくれないひとなのか。それとも、彼女の自意識はまだうでの毛を処理するまでに至っていないのか。目を凝らしていると、いつのまにか彼女のうでの毛のなかにいる。夏が終わって、秋の風。さわさわとなびく自分よりも背のたかい草のなか。視界を遮られながらも、ぼくはどこも目指さずに彷徨っていた。しかし体育祭が終わったあたりだった。ある日、そんな彼女のうでの毛はきれいさっぱり無くなっていた。つまり、剃られていた。いや、彼女がきっと自分で剃ったのだ。ぼくは啞然としてしまった。牧草が刈りとられたあとの、あっけらかんとした広野のなかで、ただただ佇(たたず)んでいるようだった。

彼女との時間の終わりを、うでの毛の喪失によって伝えられたような気がした。でも、それはそれでよかったのだ。彼女のことをおもうと。

天才演劇作家の妄想と日常。

おんなのこはもりのなか

藤田貴大
マガジンハウス
2017-04-13

この連載について

おんなのこはもりのなか

藤田貴大

演劇界のみならず、さまざまなカルチャーシーンで注目を集める演劇作家・藤田貴大が、“おんなのこ”を追いかけて、悶々とする20代までの日常をお蔵出し!「これ、(書いて)大丈夫なんですか?」という女子がいる一方で、「透きとおった変態性と切な...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

yuko88551 〔コラム〕 約2年前 replyretweetfavorite

msk3345 {コラム} 約2年前 replyretweetfavorite

momononaka 藤田さんのお母さんの学校の男子さいあくだなー昭和の子どもは野蛮でやだやだ、なんつっていまのほうが酷くなってたりして!< 約2年前 replyretweetfavorite

misakichie19 藤田さんがケイクスに…マームの魅せ方は本当に勉強になる。連載楽しみ。 https://t.co/b2JmPuWK6I 約2年前 replyretweetfavorite