パリジャンの人生に横たわる「孤独」
前回のパリジャン十色では、ココ・シャネルの意外な魅力、彼女が人生最後の瞬間まで一貫して「孤独」であったことについてお話しました。彼女の生涯を知ったことで私は、今を生きるパリジャンたちの中に、シャネルのファッション哲学だけでなく「生き方」までもが引き継がれていると感じました。
振り返ってみれば、これまでインタビューしてきたパリジャンには、シャネルのように、自分の基準をもって、他人に惑わされず、強く自立して生きている人がたくさんいました。そして、強く生きているように見えるパリジャンも一方では、やはりシャネルと同様、その人生には「孤独」がちらついて見えるのです。
といってもこの「孤独」は、私が日本で感じたり、考えていたものとはちょっと違う種類のものです。フランスでは、そもそも一人一人の人間が「個」であることを前提として生きているので、「孤独」と書くより、「個独」と表現したほうがぴったりくるように思うのです。
ではこの「個独」とはどういうことなのか、また、どうして私がそう思うのか、色々な具体例をまじえて紹介してみようと思います。
赤ちゃんから高齢者まで、「個」として生きるフランス
まずフランス人は、この世に生まれる前からすでに、一人の「個」として扱われます。子供が生まれるとなると、出産前に子供部屋を準備するのがフランス家庭では一般的です。家のスペースに余裕がないという場合以外、生後間もない赤ちゃんでも、親とは別室で寝かされます。日本のように親子そろって「川の字」で寝ることは基本ありません。
赤ちゃんの様子が見られなくて不安じゃないの?と思うでしょうが、部屋が離れている場合は、遠隔カメラを設置して赤ちゃんの様子をチェックする方法が浸透しているのです。
また、子供が成長して思春期に入ったとしても、親が離婚したければ離婚し、新しい恋人とデートしたり、一緒に生活を始めることも珍しくありません。日本のように子供を優先して親の希望を我慢する、なんてことはめったにないのです。
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