それは夢だったはずなのに、いざそのときがくると、ムッシュは自分でも驚くほど怖くなっていた。
特大のカイトを注文するところまではノリノリだった。けれど自転車のカゴに揺られている間に、不安が徐々に押し寄せてきて、だだっ広い公園の芝生に降ろされたときには、足がぷるぷると震えていた。
④鳥になる
「さ、始めようか」
星太朗はそんなムッシュに気付いているのかいないのか、一メートルを優に超える虹色のカイトを広げ、その真ん中にムッシュを凧糸で縛り付ける。
「大丈夫? こんなんで……」
「大丈夫だって。ムッシュは落ちてもなんともないだろ」
星太朗は平気な顔で、糸をきつく締め上げた。
「いたたたたた」
痛いはずがないのに、思わず声が出る。
こんなこと、もう夢でもなんでもない。夢とは儚いものだというのは、そういう意味でもあったのか。と、無駄なひらめきが頭をよぎる。
「あのさ、せっかくだけど……やっぱ、やめとこうかな……」
ムッシュは悔しさを押し殺して、弱気な声を出す。
「え、どうして」
星太朗は意地悪だ。怖じ気づいたことに気付いているくせに、手を止めようとはしない。糸を結び終えると、今度はムッシュの口を黄色い紙で塞ぐ。それは昨日、厚紙で作った特製のクチバシだ。両端の輪ゴムをムッシュの両耳にかけると、虹色の翼を持つ極楽鳥が完成した。
「いや、まぁ、よく考えてみたら、ぼく、コアラだし。コアラが鳥になるって、意味わかんないでしょ」
正直な気持ちを話そうと思ったけれど、やっぱりプライドが邪魔をする。でも、意味がわからないのは本心だ。なんで鳥になりたいなんて思ったのか、もう、ほんとうにわからない。自分がわからない。わからなすぎる。
「そうかな。でも、もう鳥にしか見えないよ」
星太朗は意地悪そうに笑うと、カイトを掲げて風を待つ。
「決めた。やっぱやめる。キャンセルします!」
ムッシュが声を上げたそのとき、大きな風がやってきた。
「遠慮すんなって!」
風上に向かって、星太朗が走り出す。
「ちょっと!! わぁ、ちょっと!! ちょっと!!」
その瞬間、大きな翼が浮かび上がる。
星太朗が手を離したのだ。
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