キリスト教2000年の歴史で初! イタリア政府公認の日本人牧師の仕事とは?

「海外で生活するってどういうことだろう?」「海外で活躍している人ってどんな意思決定をしてきたんだろう?」----海外で生活をしている、あるいは活躍している人達の情報やスタイルって、意外と分からないものです。実はリアルな体験談が聞きたい。今回、実際に移住し仕事をしている20人に、リアルな生き方を聞いたインタビュー書籍『日本を飛び出して世界で見つけた僕らが本当にやりたかったこと』が、発売されました。 日本人初のインディ500優勝を成し遂げた佐藤琢磨さんを始め、クリエイター、事業家、アーティスト、宣教師、ラッパーなどなど、世界各地のユニークな生き様をご紹介します。 cakesでは発売にあわせて、その中の5名の方の記事を先行公開。 トップバッターは、ミラノに拠点を構える日本人初のイタリア政府公認 宣教師、内村伸之さんです。

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内村伸之_Nobuyuki Uchimura
牧師:イタリア・ミラノ賛美教会 牧師
AGE:47歳、HOME:イタリア ミラノ、HISTORY:在伊歴14年、FAMILY:妻
<PROFILE>1969年生まれ。東京都福生市出身。多摩美術大学卒業後、東京都総合技術センター研究員を経て、東京都立芸術高校美術科主任教諭となる。2003年、イタリア教会連盟より日本人初の宣教師認定を受け渡伊。現在はミラノ賛美教会の牧師としてミラノを拠点に、オランダやバルセロナ、シオンの群教会(東京・中野)の宣教担当牧師などを兼務。

イタリアの牧師は国家資格が必要な職業

イタリアのミラノに、政府公認の正式な宣教師(=牧師)認定を受けた初めての日本人がいる。日本にキリスト教が伝わって約470年、日本人牧師がやって来たと、現地でもリスペクトを持って迎えられているというのだ。  牧師とはどのような仕事なのか。なぜその日本人はミラノという地を選んだのか。ふつふつと疑問が湧いてくる。取材当日。待ち合わせ場所のホテルに現れた、内村伸之(うちむらのぶゆき)は穏やかに、そして一言一言をとても丁寧に話し始めた。

“ミラノで牧師をやっている”といっても、皆さんピンときませんよね? イタリアで牧師(※1)というのは、国家資格が必要な職業です。お医者さんには医師免許、弁護士には弁護士資格があるように、牧師もイタリア政府認定の資格が必要なんです。僕はキリスト教2000年の歴史の中で、日本人で初めて公に認定された牧師ということになります。

仕事としてはイタリアの教会でのミサはもちろん、オランダやスペインの教会にも月に1回は通い、ヨーロッパ全土を巡りながら活動をしています。年に数回は日本にも行きますね。1年の半分くらいは旅をしているような生活です」

※1 牧師はプロテスタントの司祭のことで、カトリックの司祭は神父という。

ミサ等の教会活動とは別に、牧師に託された重要な仕事に“レスキュー”(※2)がある。日本語担当の内村でいえば、海外で困っている日本人のところへ行き、さまざまな相談に乗ることだ。海外の生活で起きる何かしらのトラブル。そのような時に自分の母国語で相談にのって欲しい、というニーズに応えることも聖職者の大きな役目だと内村は話す。

※2 牧師が困っている人の相談に乗ること。特に、母国語が同じ外国人の相談にのることは重要視されており、母国語ごとの担当牧師がいて困っている人のもとに派遣している。

「起業してうまくいっていたのに突然裏切られて孤独になったとか、国際結婚していたのに離婚しちゃったとか。そんな時に“牧師だったらたぶん話を聞いてくれるんじゃないか、断らないんじゃないか”と、相談の電話をくださるんです。ミラノだけで4000人、ヨーロッパ全土で20万人の日本人がいますから、問い合わせは毎日それなりの数になります」

キリスト教がベースのヨーロッパでは、困った時に牧師を呼ぶことは、一般的な考えとして浸透しているのだという。

「現在はイタリアのミラノの牧師館に住みながら、各国を巡る日々です。所属としてはイタリア・キリスト教連盟となり、教会から住まいを提供してもらいながら、月に23万円ほどの活動費をいただいて生活をしています。あとはドネーション(寄付や寄贈)をWEBサイト上で募っていて、活動詳細を明確にしながら使わせていただくという形です。ですので、NPOの職員、もしくはフリーのコンサルタントに近い動きといえるかもしれませんね」

そういって笑う内村の眼差しはとても穏やかだ。しかし自らの信じる信仰のために異国の地で活動を始めるという決断は、簡単なものではなかったはずだ。自ら選んだ“光の道”で、内村はどのような軌跡を辿ってきたのだろうか。

枠の中で生きていることへのよくわからない“渇き”があった

 内村はもともと、高校の美術の教師だった。多摩美術大学を卒業後、教職に就き、充実した毎日を送っていた。

「転機となったのは、2000年。30歳の時に訪れたイタリアへの旅でした。妻がクラシック音楽をやっていたこともあり、たまたまご縁のあったミラノに旅行したんですよ。その際に街の雰囲気はもちろん、“人種のサラダボウル”で、ものすごくエキサイティングなところだなって思いました。

一方で、輝かしく活躍している人だけではなく、移住してきたけどいろいろなことに直面し思い悩んでいる同世代の人たちにも出会ったんです。勇み足で出てきたけど失敗したとか、大見得を切ってきたから日本には戻れないというような人たちもいました。 現地の教会の牧師とお話をすると、“これだけ日本人がいるのに、何で日本人をケアする牧師がいないんだ”っていう話をされて。その時にハッとしたのを覚えています」

 内村はミラノが気に入り、その後も何度か旅行で訪れるようになる。もともと、クリスチャンの家系だった彼は、ミラノへ行く度に教会で礼拝を受けた。顔見知りとなった現地の牧師とコミュニケーションを取るようになり、ぼんやりと、“移住した日本人をサポートするような人生もありかな”と思い始めるようになった。

「2001年9月に、アメリカで9・11テロが起こり、いろいろと考えるようになりました。日本で教員という枠の中でやっている自分への、よくわからない渇きがあったのだと思います。自分の人生に、ほかの選択肢もあるんじゃないかって考え始めたんです。

それでまずは、キリスト教についてちゃんと学ぼうと思い、教員を辞めて2年間、日本の神学校に通い始めました。漠然とミラノに行きたいと思ってはいたんですが、決断をちょっと先延ばしにしたかったんでしょうね。9・11からミラノに行くまでの2年間は、自分の中で助走をつける期間だったんだと思います」

どうなるかはわからなかったけれど、とにかく行ってみようと思った

 2003年、内村は33歳の時にミラノへ行く決断をする。ミラノの教会から、すでに何度かオファーを受けていたのだが、ようやく踏ん切りがついたのがこの頃だった。

「とりあえず語学学校に通いながらでもいいや、とにかく行ってみようと思い、大使館へビザを取りに行ったんです。そしたら、手続きを進めているうちに、“もうお前にはイタリアのキリスト教連盟から、牧師としての招聘状(※5 しょうへいじょう)が出ているから”っていわれて。先方からしたら、日本人がわざわざミラノに移り住んで本気で牧師になる、ということはリスペクトすべきことだし、期待もあったんでしょうね。

そもそもイタリアで牧師になるには、原則として4年制の神学校を卒業しなければなりません。ですが、9・11の後ということや、政治、経済の不安定な状況を勘案すると、原則を飛び越えてでもノックしてきた人間を受け入れる、そういうタイミングだったのかもしれません」

※5 ビザ取得に際し、入国する側からの企業や団体からの招待状、もしくは推薦状のようなもの。

 日本のマンションを売り払い、退職金や貯金を学費や渡航費用に充てたりして工面したが、最終的にミラノで住み始めた頃は、30万円くらいしか残っていなかった。 「教会の仕事はすぐに始まりましたし、日本人からの相談の依頼もいきなりたくさん舞い込んできました。というのも“イタリア政府公認の日本人牧師が来たらしいよ”という情報が、イタリアにいる約4000人の日本人コミュニティの口コミでバッと広がったからです」

バルにたむろする年金暮らしのオヤジがイタリア語の先生

 牧師として、内村が最初にはじめたのが、日本人向けの聖書学習プログラムの作成だった。信仰を持つかどうかという問題の前に、イタリアはもとよりヨーロッパ各国では、キリスト教をベースにした思考や議論が根づいており、知識としてのキリスト教を知っておく必要があるのだ。

「もちろん僕は信仰を強制しませんが、結果的に多くの人が信仰されるようになりました。当時学んでいただいた方々が、自分をイタリアから送り出してくれているコアメンバーにもなっています。一緒に苦労して、一緒に飯を食べ、一緒に泣きながら、何とかやってきた人たちがそれぞれ活躍しはじめ、今は私の助けになってくれています」

一方、生活の苦労はなかったのか。

「イタリア語はNHK基礎講座で学んでいたものの、やはりマスターするのには時間がかかりました。イタリア語の勉強で役に立ったのは、夜な夜なバルに飲みに行くことでしたね。イタリアってバルがそこら中にあるので、年金暮らしのオヤジたちがよくたむろしているんですよ。そこへ割り込んでいって話をするんです。みんな暇なので、“こう発音するんだよ”などと、孫に言葉を教えるような感覚で接してくれました」

実はどこで生きるかではない何をやるのかこそが本質なのだ

 現在、ヨーロッパに移り住む日本人は年々増えている。一方、ヨーロッパ全土で、シリア難民やイスラム圏からの移民の問題が深刻化している。隣人愛をベースにした移民受け入れの態度が明らかに変化しはじめ、悪化する各国の経済状況もあって、援助に対し、疑問の声が日増しに大きくなっているのだという。

「そういう状況下でわれわれが考えなければならないのは、日本人もヨーロッパでは移民であるということです。シリアやイラクから来る人たちは“押し出された移民”で、日本から来るのは“引っ張られた移民”という違いはありますが、当然、日本人が何かのポストにつけば、ヨーロッパの誰かのポストがなくなるということなんです」

海外において移住する人間は決して強い立場ではない。いつでも今の生活をリセットして、違う場所で生活することを想定できているか、ということが大切だ。

「自分が好きなところに定住できるという選択が、ある日突然できなくなる。それがあり得る状況になってきました。僕だって宣教師ビザは2年更新なので、次は出しませんよっていわれたらイタリアには住めなくなります。海外に住むっていうこと自体に意味があるわけではない。

肝心なのは自分が何をやれるかです。そして頼れる家族や友人、信頼できる人がいるのかどうか、ということです。やるべきことが明確になっているのか。そしてそのために何をやれるのか。そこがはっきりしていればどこでも働いて生活できますし、頼れる家族や友人がいるとリセットされた時に何とかなります」

内村にとって海外に住むということは、自身のミッションを果たすための手段であり、それを皮膚感覚で理解するための理由でもあった。

「僕はよく、“マージナルな感覚”から脱しなければ、本物ではないといっています。僕もミラノに移り住んだ際、カブれました。最初の1年くらいはやけにイタリア人っぽくズバッとした物いいをしたり強く主張したりして、日本の友人たちに“イタリア人っぽくなったよね”と指摘されていました」

マージナル(marginal)。本質とはあまり関係のない、その境界にいるありようを内村はそう呼ぶ。日本人でありながらイタリアを過度に意識し、イタリア人ぶって日本を理解しようとしてしまうあり方ともいえるだろうか。そこから脱却して初めて、日本とその土地のあり方を受け入れることができると、内村は考えている。

「マージナルな時期を越えると、少しずつですが、日本人でもない、イタリア人でもない、そんなアイデンティティみたいなものが生まれてくる。国や育った環境はみんな違うのに、家族や友人、愛など、同じような普遍的なことで悩んでいる。やっぱり嘘つかないヤツが信じられるよね、とか、根本的な価値観はどこの国の人でも変わらないじゃん、というのが見えてくるんです」

内村は自身のこれまでを振り返り、こう話す。

「ミラノに来る際、やっぱり勇み足だった思うんですよ。語学留学のビザで来ようとしていたくらいですから(笑)。でも、何かを信じて勇み足で行ってもいいんじゃないかと。振り返れば“危ないジャンプしていたよね”って人たちが、軌道に乗っているケースが多いんじゃないかと思います」

そう語る内村は、まるでグローバルなビジネスパーソンのようにも見えた。ただ、「インタビューありがとうございました」と内村に握手を求めた後、その印象が間違っていることに気づいた。

「皆様に祝福がありますように。そしてこの本が良い本になり、多くの方に届きますように」  

神の名において、祝福と救済を届ける聖職者、それが内村伸之の本質であり、ありのままの姿なのだ。

<HISTORY OF Nobuyuki Uchimura>

1992年
22歳 多摩美術大学を卒業後、小笠原諸島父島へ移住。父島高校、神津高校といった僻地諸島での美術教員を経て、東京都総合技術センター研究員、その後東京都立芸術高校の美術科主任教諭へ。ピカソニック名義でクラブシーンにおけるDJ、VJ活動を行う。

2000年
30歳 妻とともに旅行でイタリアのミラノを訪れ、ミラノの街の雰囲気や多国籍なところに惹かれる。以降、度々訪れるようになり、現地の教会と関わりを持つ。

2001年
31歳 9.11テロ事件が起こり、自分の人生を考えるきっかけとなる。漠然とミラノに移住したいという気持ちもあったが決断には至らず、キリスト教について深く学ぶため、神学校に2年間通う。

2003年
33歳 教員を辞職し、東京・三宿のマンションを売却。妻とともにミラノへ渡る。所持金は30万円……。イタリアのキリスト教連盟より招聘を受け、イタリアにおいて日本人初の宣教師認定を受ける。

2007年
37歳〜 JTJ神学校国際学部牧師養成科修了。イタリア・ミラノ賛美教会牧師の他に、バルセロナ日本語キリスト教会牧師、シオンの群教会(東京)宣教担当牧師なども兼任。ミラノに一緒に渡った妻のまり子も、教会オルガニストとして活動している。

ヨーロッパ、アメリカ、アジアで現地取材! 海外で成功した日本人20人の働き方&ライフスタイル

この連載について

日本を飛び出して世界で見つけた僕らが本当にやりたかったこと

森美知典

本書は日本初のインディー500制覇の偉業を成し遂げた佐藤琢磨氏をはじめ、ミシュラン星レストランオーナシェフ、宣教師、事業家、クリエイター、アーティスト、ラッパーなど、海外で活躍している新しい価値観を持った日本人の意思決定の背景や思い、...もっと読む

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izumi_graben マージナル(marginal)。本質とはあまり関係のない、その境界にいるありようを内村はそう呼ぶ。[...]そこから脱却して初めて、日本とその土地のあり方を受け入れることができると、内村は考えている。 https://t.co/soTZJYXJkD 9ヶ月前 replyretweetfavorite

kashimastaugus1 こういう牧師さんもいらっしゃるんですね! https://t.co/5qYbzy2mG4 2年以上前 replyretweetfavorite