「噓でしょ......」沖縄の担当者は絶句
2014年の10月1日に奥平さん、中島さんはドワンゴに入社。10月の後半に、もう奥平さんは沖縄・那覇市に移住していた。東京から通いで来るだけでは、地元の関係者は耳を傾けてくれない。本気で、沖縄に新しい高校をつくるんだという気持ちを示すため、奥平さんは何の地縁もない沖縄にキャリーバッグ一つで飛び込んでいった。会社からもらった携帯電話にはまだ、一つも連絡先が入っていなかった。
最初に味方になってくれたのは、伊計島が属するうるま市の企業誘致担当者だった。「全国から伊計島に、ニコニコ動画ユーザーの子どもたちが来てくれるなんて、すばらしい!」。企業誘致担当者としては、今をときめくIT企業の学校が島に来てくれるなんて、願ったり叶ったりだったのだ。しかし2016年4月に開校するためには、2015年の3月には「学校設置計画書」を沖縄県に提出しなければいけない。それには、本校としてどの施設を使うのか記入する必要があるのだ。
2015年3月までに、伊計小中学校の物件の賃貸借契約をしたいと言うと、担当者は「噓でしょ......」と絶句した。従来のスケジュール感でいうと、半年で契約するということはありえないのだ。よくある流れとしては、今から準備を始めるならば1年半後に申請書を出し、そのまた翌年に開校するというものだ。それでもまだ早い方で、さらに1年、2年かかることもざらにある。通常3、4年かかる設立準備を、1年半でやろうとしているのだから、「無理だ」と言われるのも仕方がない。
しかし、中島さんと奥平さんは食い下がった。「できないのなら、他をあたります。我々はどうしても、この日までに契約しないといけないんです」。そう真摯に訴えると、担当者は「やりましょう」と協力を約束してくれた。市議会議員などさまざまな人にかけあって、新しい高校を設立するために精力的に動いてくれたのだ。
重たい雰囲気で始まった説明会
次に必要だったのは、伊計島の地元の人たちとの話し合いだ。伊計小中学校の校舎を管理しているのは、うるま市の教育委員会である。担当の市職員から、伊計島の自治会の同意が物件を借りる条件だと言われた。最初はまさに、けんもほろろで取り付く島もなかった。建物内に入れてさえもらえなかった。
じつは伊計島には、土地や建物を使いたいと企業からたくさん引き合いがきていたのだ。ビジネスのために、島の資源を利用しようという人たちもたくさんいた。そして当時は、スポーツ関係の企業との商談が一つ、破談になったところだった。自治会では、「企業はダメだ、地元中心で伊計小中学校を活用しよう」と話がまとまりつつあった。観光関係の施設にする計画を始めていたのだ。奥平さんがやってきたのは、そんな矢先だった。「また東京の企業が校舎を借りたいと言ってきている?」「ドワンゴって何の会社?知らないなあ」。反応は、芳しくなかった。
「当時はけっこう心が折れて『もう、あかんかな』と思いかけてたんです。沖縄ではなく、別のところに本校をつくらなければいけないかもしれない、とも考えました」(奥平さん)
N高等学校校長の奥平博一さん
奥平さんは、時間をかけて誠意を見せるしかないと思った。そして、自治会の玉城会長が出勤する時間、帰宅する時間に合わせて、「話だけでも聞いてもらえませんか」とほぼ毎日頼み続けた。その結果、11月に初めて具体的に話を聞いてもらう機会を得て中に入れてもらい、12月17日にはついに、自治会役員会に対して「高校をつくりたい」と説明する機会が与えられた。
12月16日付で教育事業のためにドワンゴ社員になった吉井直子さんは、その日に「明日沖縄に行ってほしい」と言われた。わけがわからないまま17日に伊計島にたどり着き、その足で、説明会に同席することになった。奥平さんは「大丈夫、吉井さんは僕の隣に座って、ニコニコしてればいいから」と言い、事情がわからないまま役員会はスタートした。
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