中学の同窓会での違和感

「高校をつくる」。言葉で言うのは簡単ですが、新しい学校の設置認可をとるのは、並大抵の苦労ではありません。校舎となる建物を探し、申請のための分厚い書類を揃え、地元の学校関係者の信頼を得て、教員をリクルートし、生徒を募集する。間にさまざまな困難が立ちはだかる上に、今回N高が目指したのは、準備期間1年半での開校でした。不可能と思われた最短コースでの学校づくり。その軌跡を追った『ネットの高校、はじめました』の第3章を、特別掲載いたします。

中学の同窓会での違和感

N高のはじまりは、とある中学校の同窓会だった。ドワンゴの取締役であり、当時、子会社のMAGES.(メージス)会長でもあった志倉千代丸さんは、同窓会で久しぶりに卒業アルバムを見た。そこには、みんなの「将来の夢」が書かれていたが、それが「宇宙パイロット」や「サッカー選手」、「警察官」など数個の職業に偏っていることに違和感を感じたという。それぞれみんな違う個性を持っているのに、将来なりたいものがこれほどまでに偏っていたなんて。そして当然そこにいる多数の人が、その夢を叶えられてはいなかった。


志倉千代丸さん

「これってなんか、おかしいよな」。そう思った志倉さんは、「この世界に多くの職業がある事を、せめて高校生になる頃までには知ってもらえないだろうか?」と考えた。いろいろな職業を知る事で人生の選択肢が増え、個々に持っている可能性との親和性を、何度となくチャレンジできるような、そんな学校がつくれないか、と考えた。そして早速、企画書の作成に乗りだしたという。その表紙に書かれていたタイトルこそ、N高の起源とも言える「ニコニコ高等学校」なのであった。これは2014年5月のことだった。この企画書にはすでに、今N高でおこなわれている「イカ釣り漁船の職業体験」なども含まれていた。

「ドワンゴはウェブサービスの企業で、それに関連する職業ならいくらでも紹介できます。でも、そうじゃなくてデジタルの対極にあるような職業体験のほうがおもしろいと思ったんです」(志倉さん)

もともと志倉さんはMAGES.で運営していた、声優やボーカリストの養成所「ドワンゴクリエイティブスクール(当時、現声優ラボ)」を学校法人化し、専門学校と高校のメリットを同時に学べるような高校ができないかと考えていた。様々な分野の専門的な授業を少しずつ、つまみ食いしながら、体験しつつ、高校卒業資格も取得できる、というものだ。もともとエンターテインメントの学校だからこそ、これまでの教育業界の人にはできない発想ができるのではないか。教育業界のノウハウや常識にとらわれない自分たちだからこそ、新しい学校がつくれるのではないか。

「僕らなら教育を変えられる、なんて厨二病みたいな甘い考えから始まってるんです。実際に取り組み始めて、設置認可をとって学校をつくることのハードルの高さに、何度もくじけそうになったんですけどね(笑)」(志倉さん)

志倉さんがこう考えていた頃、通信制高校で働く二人の男も、「まったく新しい高校をつくる」という可能性を探り始めていた。一人は、奥平博一さん。後の、N高等学校校長である。


N高等学校校長の奥平博一さん

奥平さんは大学で教育学を学び、卒業後は小学校の教員になった。その後、当時勢いのあった学習塾業界に転職し、今から18年前に通信制高校での教員生活をスタートした。

もう一人の中島武さんは、大学卒業後、広告代理店を経て、プランニング会社を設立した。その仕事の中で、通信制高校のクライアントと出会い、その母体となる学校法人にて、通信制だけでなく、専門学校、海外展開と多角化していったその学校法人のマーケティングを一手に担当した。

そこから別の企業に転職し、新しい通信制高校の立ち上げに参画。その後、代理店関係の知り合いから「高校の立ち上げを経験している人に会いたい」という志倉さんを紹介された。名刺を交換した時、中島さんは「MAGES.? 何の会社だろう」くらいに思っていた。ところが、志倉さんが「ドワンゴの子会社です」と言った瞬間「えっ、あのニコニコ動画の?」と身を乗り出した。中島さんにとって、ニコニコ動画はおなじみの存在だった。なぜかというと、通信制高校の生徒の多くはニコニコ動画に夢中だったからだ。

「じつは、ニコニコにはあんまりいい印象を持ってなかったんですよ。だってあれは24時間観られるでしょう。夜中ずっと観ていて、昼夜逆転になっちゃってる子もいたんです。でも、それだけ人気があり、不登校の子の居場所になってるんだ、とは思っていました」(中島さん)

中島さんはこのチャンスを逃してはいけない、と考え、「今ある学校を法人化するのではなく、高校を新しくつくりましょう」と提案した。志倉さんの反応は「まさにそれを提案したかったんです」だった。中島さんは畳みかける。

「我々はこれまで、ニコニコ動画を居場所にしている子に対して、外から見守ることしかできなかったんです。でも、そのニコニコ自体が学校になれば、劇的に状況が変わります。すでに、そこに必要としている子どもたちがいるんです。ネットに引きこもっていた子たちが、ニコニコの学校を通じて社会に出る道が開けますよ」

学校のプロからの意見を聞き、志倉さんの想いは一気に可能性から実現性へと加速していったという。そこからすぐ、大規模な通信制高校の副校長をしていた奥平さんに、中島さんが声をかけ、3人で集まった。ここから、本格的にニコニコ高校、後のN高のプロジェクトがスタートする。

はじめに手を付けたのは物件探し

この背後で、ドワンゴは大きな転換点を迎えようとしていた。さまざまなコンテンツブランドを保有する総合メディア企業KADOKAWAとの経営統合である。経営陣は、「経営統合にあたり、社会にインパクトと貢献をもたらす新規事業を始めたい」と考えていた。それが高校設立という提案を受け入れる土台となるのだが、それはもう少しあとの話である。

志倉さんは経営統合の話を聞き、MAGES.単体の事業とするよりも、KADOKAWAが出版社として蓄積してきたコンテンツとドワンゴの技術力をかけ合わせた学校をつくったほうがおもしろいのではないか、と考えた。KADOKAWAは1950年代から辞典を作っており、高校の教科書を出版していたこともある。傘下の中経出版は、参考書を数多く出している。さらに、ライトノベルアニメコンテンツのレーベルも有している。

「出版社として歴史あるKADOKAWAと、IT企業の雄であるドワンゴが組んで学校をつくったら、本当に教育を変えられるかもしれない」と、中島さんと奥平さんは胸を躍らせた。

はじめに手を付けたのは、本校となる物件探しだった。校舎として使える建物というのは、建築基準法施行令で教室のサイズ、階段の高さ、幅などがすべて決められている。要件を満たす建物を一から作るのは、コストもリスクも高すぎる、ということで、3人は早々に「廃校を利用しよう」と決めた。現在、少子化によって過疎地の小中学校は統廃合が進み、廃校になった学校は2012年度に607校、2013年度に483校と年に何百校というペースである。候補にはことかかなかった。

沖縄の伊計小中学校は早めに候補に入っていた。通信制高校の本校は、非日常を感じられるところに設置することが多い。志倉さんの「デジタルの対極にある体験をさせたい」というテーマにも合致していた。そこで、沖縄の廃校にいくつかあたってみた。なかでも、ひと際目を引いたのが伊計小中学校だった。廃校になってから4年。まだきれいな状態で保たれており、開放的でクリエイティブな雰囲気もあった。「これからの新しい通信制高校の本校としてはぴったりだ」。本格的な自治体との交渉はまだだったが、ここを第一候補にすることに決めた。

今度は、ドワンゴの社内で新規事業としてこのプロジェクトを通さなければ。根回しが必要だと考えた志倉さんは、ドワンゴの荒木隆司社長と取締役の横澤大輔さんにいったん高校設立についてプレゼンテーションしてみた。結果、二人とも大絶賛。「これは絶対いけるよ、役員会に持っていこう」と背中を押され、役員会にかけることになった。

次回「役員会での川上量生会長の反応」は5/20更新予定

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ネットの高校、はじめました。—新設通信制「N高」の教育革命

崎谷実穂

2016年4月、KADOKAWA・ドワンゴグループがインターネットを活用した新しい通信制高校「N高」を開設しました。2年目となる今年度の新入生は2002人。新設の通信制高校としては異例のスピードで生徒数が増えています。 なぜ出版社...もっと読む

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yaiask N高本の連載、学校づくりの過程を追う章に入っています。まずはドワンゴ志倉千代丸さん、現校長の奥平さん、通信制高校のPRを長年担ってきた中島さんという立ち上げメンバーが揃うところから 約3時間前 replyretweetfavorite

tks564bys0000 【コラム】 4日前 replyretweetfavorite

wol564b =コラム= 4日前 replyretweetfavorite

pek5845 -コラム- 4日前 replyretweetfavorite