2017年度のアカデミー賞作品賞は、「誤発表の訂正」という前例のない珍事を経て『ムーンライト』に決定した。混乱はあったものの、結果的には注目も集まり、日本でも大きな規模で公開されるに至ったことを喜びたい。黒人キャストのみで構成され、ゲイの男性を主人公とした本作は、日本で公開されたとしても小規模の上映で終わっていた可能性は高かったのではないか。シネコンの巨大スクリーンで『ムーンライト』のような作品を堪能できる稀有な機会が与えられたのは、ひとえにアカデミー賞の話題性と影響力によるものだ。
監督のバリー・ジェンキンスは、本作を含めても長編2作と、キャリアはまだ始まったばかり。『ムーンライト』は、ブラッド・ピットが創立した映画会社 PLAN B の作品だが、同社は『それでも夜は明ける』(’13)でアメリカの黒人奴隷制度をテーマにするなど、シリアスな社会問題と向き合う姿勢で知られており、本作もまたその延長線上にある。『ムーンライト』の主人公は、シャロンという名の黒人少年。ゲイであることの疎外感、止まらないいじめ、不安定な家庭環境に苦しむ彼が成長していく過程を、小学校時代、高校時代、成人後の3つの章立てで描く。
『ムーンライト』は、映画におけるクローズアップの力というものを、あらためて思い知らされるフィルムである。スクリーンいっぱいに映し出される、さまざまな顔。本作の観客は、クローズアップでとらえられた登場人物たちの顔から溢れ出る感情に圧倒されるほかない。
劇中もっとも印象的な人物のひとりに、何かと主人公のめんどうを見る、心優しい男性フアンがいる。周囲からいじめられる少年を心配して声をかけ、話し相手になるなど優しい面を持つフアンだが、普段は麻薬の売買に手を染めるディーラーである。少年から「ドラッグを売っているのか」と仕事の内容を質問され、そうだと答えるフアン。少年は「ぼくの母さんも、ドラッグをやっている」と彼に伝えるが、その瞬間フアンの顔いっぱいに浮かぶ恥の表情を、カメラは逃さない。うつむき、何も言えなくなるフアン。育児をネグレクトする母親の代わりに少年のめんどうを見ているフアンだが、同時に、少年の母親に麻薬を売って日々の糧を稼ぐという矛盾した状態にあったのだ。こうしたねじれを少年から指摘されたフアンは、ただうつむき、内側からせり上がる恥の感情に耐えるほかない。言葉による説明ではない、フアンの微細な表情がすべてを語っている。無言で下を向く彼の表情。その誠実な顔つきはあたかも、俺はいま自分自身がとても恥ずかしいと、痛切な叫びをあげているかのようだ。
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