日本のフォークソングのルーツ

戦後日本の若者は、いったい何に"反抗"しようとしていたのか。連載は引き続きその象徴ともいえる60~70年代のフォークソングブームを追いかけます。日本におけるフォークソングの歴史を改めて振り返ります。

 1970年の中学一年生にとって、フォークソングは叙情的なものだったが、しかし世間ではそうはとらえられていない。
 もっと硬派の、社会的なものだと理解されている。とくにその時代にいなかった人たちにそうおもわれているように見える。
 それは硬派は「われわれはフォークソングとともに支配体制と戦った」と言い続けていられるが、軟派は「われわれはフォークソングで恋の傷心を癒やされた」とあまり大声で主張しないからである(そもそも、人さまに聞かせることでもない)。声の大きかったほうの姿が、記憶されていく。
 だから私は、社会的なメッセージを込めたものが正統派のフォークソングだと言われると、何ともいえない違和感に囲まれてしまう。少なくとも1970年の中学一年生にはあまりぴんと来ない。しかたがない。
 突出した政治的(だと自分たちでは信じている)動きと、不正義を告発しようとした歌とが、たまたま交錯した瞬間があっただけのことだろう、と私はおもっている。わりと限定された動きではなかったのか。
 その経緯を少しみていきたい。

 日本のフォークソングの始まりは、1960年代初頭に求められる。
 もともとは、アメリカのすてきな歌だった。ハーモニーが美しい魅力的な歌として、海を越えてやって来た。(歌声喫茶に起点を求める考えもあるようだが、とりあえずそっちの〝インターナショナル〟系統の歌は措いておく)。
 お洒落な大学生たちがそれを取り入れた。
 当時のアメリカ大統領のジョン・F・ケネディのヘアースタイルをまね、ケネディの出身大学生のような気取ったファッションに身をやつし、マイクを中心に男が3、4人並び、マイクがなくてもあるかのように寄り添い、ときには女性も混じり、指を鳴らしながら、それぞれ違う旋律を歌って、そのハーモニーを聞かせる、というスタイルで出現した。なぜ、そんな奇妙なことをしたのかと聞かれても困る。当時はそれがかっこよかったからだ。そうすればもてるとおもったのだ。大学生たちがそういうスタイルで歌った。かっこいいとおもって、まねる人が増えていった。
 大学生が中心にいたので、カレッジ・フォークと呼ばれた。キャンパス・フォークやモダンフォークとも呼ばれていた。ユニバーシティのフォークソングとは呼ばれなかった。
 全員手ぶらのこともあれば、一人二人、ギターを持っていることもあった。ただ、ギターは目印のようなものにすぎず、あくまでも美しいハーモニーを聞かせようとしていた。(と私はおもっている。スリーフィンガーだのピッキング奏法だの、ギターに関する言説もいろいろあったが、あくまでハーモニー売りだったはずだ)。
 ピーター・ポール&マリーというのが、私の知っているこのスタイルのおおもとである。あと、ブラザース・フォーや、キングストン・トリオの名前が歴史的な書物には書かれているが、私はよく知らない。歌は知っているが、彼らが歌っている映像をあまり見た記憶がない。
 ジョン・F・ケネディ的なかっこよさを意識して、そういう歌が流行した。ケネディのようなファッションはアイビールックと呼ばれた。
 ピーター・ポール&マリー(略記はPPM)は、ボブ・ディランの曲もよく歌っていた。「風に吹かれて」「時代が変る」「くよくよするなよ」などである。「風に吹かれて」などはボブ・ディラン本人よりも、ピーター・ポール&マリーのほうが有名だったかもしれない。(最近はそうでもないだろうが)ボブ・ディランの歌い方は、とても魂に響いてくるのだがあまり美しいとは言えず、PPMのきれいなハーモニーで聞くほうが心地よかった。(ディランは9枚目のアルバムまで、わざと声を絞って濁声で歌っていたと言われている)。
 1960年代の後半にはサイモン&ガーファンクルがいた。(活動期間は1964年から1970年、略記はS&G)。男二人組のデュオで、だから最少人数二人で歌うのには格好のお手本だった。ただ、いまあらためてフォークソングの本を見ると、ほとんどサイモン&ガーファンクルは触れられていない。ビートルズとほぼ同時代の歌手ながら、先鋭的な部分も、社会的な部分もあまり感じられなかったので、全共闘世代はがんばって無視しているようで、ちょっとおもしろい。1970年代の中高生にはとてもよく聞かれていた。(全共闘世代よりもだいたい十歳くらい下、つまり1970年の中学一年生世代である)。政治性を持たないものを下に見るという、当時の思想的な強い偏見のなせるわざなのだろう。

 1960年代前半のカレッジ・フォークのブームは、上品な大学生まわりのブームだった。世間一般まで巻き込んだものではない。当時はまだかなり特権的だった大学生まわりで好んで歌われていた。
 そこから、派生的なヒット曲が出てきた。
 たとえば1966年のマイク眞木の「バラが咲いた」である。その年の大晦日の歌合戦にも出場したが、いちおうカレッジフォーク(モダンフォーク)の曲ということになっている。加山雄三や、「この広い野原いっぱい」(森山良子)、「若者たち」(ザ・ブロードサイド・フォー)もカレッジフォークからのヒット曲だとされている。
 そのあと、ビートルズやローリングストーンズの影響が奇妙にねじ曲がり、そのエピゴーネンとしてグループサウンズ(GS)が登場した。1967年にブームになった。
 まず、1966年にスパイダースとブルーコメッツがいて、1967年になってタイガースとテンプターズがデビューして、いきなり大ブームとなったのだ。カレッジ・フォークと違い、歌謡曲世界の歌手だったので、小学生だった私(1967年の小学四年生)もよく聞いていた。いまから見ると、ジャニーズ系アイドルグループの先駆者、というふうに見える。(特に失神を売り物にしたグループ〝オックス〟にその印象が強い)。
 世界的なロックグループの影響で、アイドルグループが次々と結成された、ということは、当時はまったく気付かなかった。ジョン・レノンのビートルズと、沢田研二のタイガースには何の共通点も見つけられず、別々のタイミングで聞くと、何のつながりも感じられない。当時の日本の音楽シーンが〝前期ビートルズ〟をどう捉えていたのかが、いまとなってはよくわからないからだ。
 GSは、いっときだけ大流行して、そのあときれいに消えていった歌謡曲であった。私にはそうとしか見えなかった。彼らは大晦日の歌合戦に出ていた。そこに出るかぎりは歌謡曲である。ジョン・レノンもミック・ジャガーも大晦日の歌合戦には出たことがない。そして、そのころのフォークシンガーは、大晦日の歌合戦に出なかった。そこに違いがあった。

 岡林信康から吉田拓郎へとつながる〝フォークソング〟は、意外なところから出てくる。

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1970年代の見張り塔からずっと

堀井憲一郎

高度経済成長が終わりを迎えた1970年代、若者文化もまた曲がり角に差し掛かろうとしていた。いまのカルチャーはどこまで行ってもこの曲がり角の先にある。日本人はこの曲がり角をいかにして迎え、そして無事に曲がることができたのか? 現代日本を...もっと読む

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