これからは、ぼくがせいたろを守るから」とぬいぐるみは言った

いつ、どこで。そしてなぜムッシュはしゃべりだしたのか……。星太朗は、小説を書きながら思い出していた。奇蹟が起きたのは、世界で一番大好きだった人と、別れた夜のこと。コアラのぬいぐるみを抱きしめて泣いていた星太朗に、どこからか声が聞こえてきた。
ぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語小説『さよなら、ムッシュ』を特別先行掲載! GW8日間連日公開です。イラストは、なんと松本大洋さんの描きおろし!

 ムッシュがしゃべりだしたのは、星太朗が世界で一番大好きだった人と、別れた夜のことだった。

 近くの斎場でお母さんの通夜が行われていた夜。

 星太朗は裏庭で、お母さんからもらったムッシュを抱きしめていた。

 ムッシュが生まれたのはそのひと月前のこと。星太朗が初めて、お母さんと別れないといけないことを聞かされた日だ。

 嘘だと思ったし、嘘だと思いたかった。夢ならいいのにと、ずっと願っていた。けれど、それは嘘でも、夢でもなかった。

 ほんとうに、お母さんはいなくなってしまった。

 ぽろぽろと溢れ出る涙が止まらない。そのまま、自分の全部も流れ出ちゃうんじゃないかと思うくらいに、涙が出続けた。

 星太朗はそれを止めようと、ムッシュをつぶれるくらい強く抱きしめていた。

 そのとき、どこからか声が聞こえてきた。

「冷たいなぁ」

 辺りを見るが、誰もいない。

 すると、腕の中のムッシュがむくむくと動き出したのだった。

「冷たい涙はきらいだよ。哀しみがつまってるからね」

 ムッシュはそう言って、まだつやつやの短い手を伸ばし、星太朗の頬に触れた。

 星太朗は、ただただ驚き、かすれた声を絞りだした。

「しゃべ、れるの……?」

「しゃべれるし、動けるよ。歌だって歌える」

 ムッシュはそう言って、「あー」と、伸びやかな声を鳴らした。

「あー あ— あ—」

 その度に、立派なヒゲがひらりと揺れる。

 星太朗はまず、これは夢だと思った。そして次に、お母さんが死んだことも夢かもしれない! と思い、すっくと立ち上がった。

 だがそんな希望は、ムッシュにあっさりと否定された。

「夢じゃないよ」

 星太朗は自分のほっぺたをつねった。これ以上ないくらいの力で、おもいきり。

 とても痛かった。けれど、心の奥の方がぎゅっと、ほっぺたよりもっと痛くなった。

「……どうして?」

 そう聞くと、ムッシュは淡々と答える。

「どうしてって、じゃあせいたろは、どうして自分がしゃべれるかわかる?」

 わからない。そんなこと、考えたこともなかった。

「どうして動けるの? どうして歌えるの?」

 答えられない星太朗に、ムッシュはどんどん聞いてくる。

「どうして泣いてるの? どうして生きてるの? どうして考えてるの?」

 星太朗はただ首を横にふることしかできなかった。

「わからないよね。ぼくもわからないもん」

 ムッシュはやわらかな口調でそう言うと、少しだけ嬉しそうな声を出した。

「でも、どうしてお母さんがぼくを作ったのかは、わかるよ」

「どうして……?」

 するとムッシュは腕の中からぴょんと飛び降りて、庭に転がっていた軽石を拾った。それを使って、コンクリートの地面に文字を書く。


 子 守 熊


 とても大きくて、それに力強い字だった。

「こもり……」

 そのくらいまでは星太朗にも読めた。最後の漢字はなんだっただろうか。どこかで見たことはあるのに、思い出せない。

「こもり、ぐま。コアラって、こう書くんだよ」

 ムッシュはそう言って、星太朗を見つめた。

「これからは、ぼくがせいたろを守るから」

 涙が、また星太朗の目にこみ上げてくる。

 ムッシュの声が、お母さんの声のように聞こえた。

 星太朗は、ひとりじゃないのよ。

 そう言われているような気がした。

 そっと、ムッシュを抱き上げる。

 するとムッシュは、自分のヒゲをぽろっと外して、そのヒゲで星太朗の涙を拭いた。

 大きなヒゲがなくなると、同時に鼻もなくなって、ぽつんと小さな口が見える。そうなるともうコアラには見えないし、かといってクマにも見えない。

 まぬけな顔をしたムッシュが面白くて、星太朗はくすっと笑った。

 それは、ひと月ぶりの笑顔だった。

 それからムッシュは、「ボンボンボン、ボンボンボン……」と、何かの前奏を口ずさんだ。

 どこかで聴いたことのあるメロディ。

 それは、おじいちゃんがよく歌っていた歌。それに、お母さんも大好きな歌だ。


 君は僕の友達だ この世は悲しいことだらけ

 君なしではとてーも 生きて行けそうもない

 だけど僕は恋をーした すばらしいー恋なーんーだ

 だからしばらーくは君と 逢わずに暮らせるだろう

 涙くんさよなら さよーなら 涙くん

 また逢ーう日ーまーで


次回の更新は、5月8日(月)です!


話すぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語!


『さよなら、ムッシュ』片岡翔

この連載について

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さよなら、ムッシュ

片岡翔

あの日。気がついたら、その子は話しはじめていた。コアラのぬいぐるみのはずなのに。 それ以来、彼はそのことを20年間秘密にして、生きてきた――。 気鋭の新人映画監督・片岡翔が初めて小説『さよ...もっと読む

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