諦めてしまっていた夢を、死を目前に思い出した

星太朗の小さいころの夢は、母と同じ小説家になることだった。ムッシュが押し入れから引っ張り出してきたものは、2人が昔に書いたひみつノート。ムッシュと星太朗2人の夢、好きな星座、嫌いな星座……。ノートをめくると、いろんな思い出がよみがえってくる。そして小さいころ小説を書いたノートを見つけた星太朗は、もう一度、小説を書いてみよう、と思うのだった。
ぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語小説『さよなら、ムッシュ』を特別先行掲載! GW8日間連日公開です。イラストは、なんと松本大洋さんの描きおろし!

 星太朗は階段を駆け下りると、久しぶりにタコ山に向かった。

 団地にはたくさん公園がある。きれいに手入れされた芝生もあるし、色とりどりの遊具や、小洒落れたバスケットゴール、ターザンになれるアスレチックだってある。けれど星太朗はこの場所が一番好きだった。

 すべり台をのぼり、タコの顔の横に腰掛ける。そこから空を見上げると、他のどこよりも宇宙は広くて、星は遠くて、でも頑張れば、手が届きそうな気がした。

 ひんやりした夜風にあたって、深呼吸をする。

 初夏の匂いを感じながら目を閉じると、楽しかったあの頃の記憶が蘇ってくる。


「ねぇ、どうしてお星さまって、ちかちかしてるの?」

 そう聞いたのは、たしか小学校に入学した頃だ。

 星太朗は星についての本をたくさん持っていたが、その理由はどこにも載っていなかった。

「そうねぇ。きっと手をふってるんじゃないかな。おーい、私はここにいますよーって」

 お母さんは星を見ながら、迷うことなく答えた。

「え、ほんと?」

「うん。だから星太朗も返事しないと」

 お母さんが無邪気に笑いながら、星太朗の頭をぽんと叩く。

「おーい!」

 星太朗は控えめに声を出して、手をふった。

 するとお母さんは「そんなんじゃ聞こえないよ」と立ち上がり、

「お—い!!」

 お腹の底の底から、とんでもなく大きな声を出した。

 それは星太朗が生きてきたなかで聞いた、一番大きな音だった。

 団地に並んでいる窓なんかこれっぽっちも気にせずに、その声はビームのように一直線に、星を目指して飛んでいく。

 星太朗は興奮して立ち上がると、お母さんを真似して力いっぱい声を出した。

「お—い!!」

「お—い!!」

「お—い!!」

「お—い!!」

 そうして二人は競い合うように、星に向かって手をふった。

「うるせぇ!!」

 どこかの窓から野太い怒鳴り声が聞こえる。

 星太朗が逃げようとすると、お母さんはそのままの声で、窓に向かってビームを放った。

「す—み—ま—せ—ん!!」

 今にして思うと、母は子どものような人だった。いたずらが好きだし、大人のルールなんて関係ない。哀しいときには大雨のように泣いたし、楽しいときには嵐のように笑った。

 星太朗は、そんな母が大好きだった。

 子どものようなまま、死んでしまった母。

 今、星太朗は彼女と同じ腫瘍を抱えている。

 そう思うと、ほんの少しだけ、気持ちが楽になるような気がした。

 空を見上げる。

 けれど残念なことに、今日は星が見えなかった。


 どれくらい時間が経っただろうか。

 体を起こすと、公園の時計がとっくに翌日になったことを知らせている。星太朗はしかたなく、冷えたお尻を持ち上げた。

 部屋に戻ると、押し入れが開けられ、しまってあったダンボールが散乱していた。ノートが数冊ちらばり、その横にムッシュが寝ている。

 そっと、その手元にある古いノートを手に取った。


 星太朗とムッシュのひみつノート


 マジックでデカデカとタイトルが書かれたこのノートは、何を秘密にしているのだろうか。真ん中から書き始めてしまったために、右半分に無理矢理残りの字が押し込まれている。

 星太朗はちらっとムッシュを見てから、それを開いた。



ムッシュのことは、だれにも言ってはならない。(言ったらムッシュはヤミのソシキにつかまって、人体じっけん(コアラだけど)をされるだろう)


  二人の夢

  ①お母さんみたいな小せつ家になりたい(星)

  ②コアラとあそびたい(ム)

  ③ムッシュにババぬきで勝つ(星)

  ④鳥になりたい(ム)

  ⑤コアラのマーチを死ぬほどたべたい(星)

  ⑥あと、いろいろ


  すきな星座ランキング

  ①コアラ座

  ②まきぐそ座

  ③こぐま座、いっかくじゅう座、アンドロメダ座

  ④や座、ヘルクレス座、

  ⑤

  ⑥


  きらいな星座ランキング

  ①

  ②かみのけ座

  ③はえ座


 一ページ目には仰々しい注意書きがあり、次のページは、枠線からはみ出さないように、二人の夢が丁寧に箇条書きされている。

 でもそれは途中で急に適当になり、星座のランキングに変わっていた。一位と二位はオリジナル星座で、三位以降はたくさんありすぎて決められなかったのを憶えている。嫌いな星座の一位が空白なのはどうしてだろう。意味がわからない。

 さらにページをめくると、あとは落書きだらけだった。

 星太朗が描いたムッシュや、ムッシュが描いた星太朗、クラスメイトの似顔絵までは良かったのだが、後半になると、ゴールに行けない迷路や、はなくその形の記録、それからぐるぐる巻きのうんちが何百と描かれている。それが終わると、残りのページは○×ゲームに費やされていた。

「それ、やろうよ」

 声がして振り返ると、ムッシュが起きていた。

「夢のとこ。五つしか書いてないから、もっと書き足してさ」

 星太朗は何も答えずに、ページを戻す。

「ほら、ぼくだって最後にやりたいことあるし」

 そう言われて、星太朗はすかさずムッシュを見た。

「何言ってんだよ、ムッシュはべつに」

 するとムッシュが言い返す。

「何言ってんの。ぼくもせいたろと一緒にいくよ?」

「いや、そんなことさせ」

 させないよ。そう言おうとしたのも、遮られる。

「せいたろ、ぼく、一人じゃ玄関も開けられないんだよ」

 星太朗は返す言葉を失った。

「それに、人体実験なんてごめんだし」

 ムッシュはぷいっと星太朗に背を向けて、別のノートを開く。


 コアラーマンの大冒険 作・森星太朗


 星太朗が初めて書いた小説だ。

 ムッシュはそれを読みながらくすくす笑う。

 その声は、出会った頃から何も変わらない。


 ムッシュのことを初めて見たのは、星太朗が七歳のとき。

 治療を諦めたお母さんが、家で療養していたときのことだった。

 星太朗は学校から帰ると、ほとんどの時間をお母さんと一緒に過ごしていた。本を読んでもらったり、読んであげたり。お母さんの趣味だったジグソーパズルや、人生ゲーム、ババ抜きなんかで日が暮れるまで遊んでいた。

 ある日の夜、星太朗が部屋に入ると、お母さんは縫い物をしていた。白いつやつやの毛に、ちくちくとリズムよく針を通していく。

「なに作ってるの?」

 星太朗が聞くと、「ないしょ」とお母さんが笑う。

「えー、ずるい。教えてよ」

 星太朗は口を尖らせて横に座ると、手元に顔を近づけた。

「危ないから離れてて」

「じゃあ教えて。なになに?」

 しつこく聞くと、お母さんはしかたなく答えた。

「せいたろの、お友達!」

 その、今とはまるで違う、つやつやと光る白い毛並みが、まだ生まれる前のムッシュだったのだ。


 気が付くと、ムッシュの笑い声が、くすくすからケラケラに変わっていた。コアラーマンの大冒険はもう中盤に差し掛かっていたが、たしかこの先、宿敵パンダマジンを倒さないまま、急に「つづく」という三文字で終止符が打たれるはずだ。理由は、星太朗が飽きたから。ただそれだけ。

 だけどムッシュは、それでも文句を言ってこなかった。

「続きが気になるねぇ」

 ぼそりとつぶやいてから、その後に意外なことを口にした。

「まぁ、最後まで書いたら終わっちゃうからね」

 ムッシュはそう言って、「つづく」の後を勝手に想像して楽しんでいるようだった。

 星太朗は手元のノートに目を落とす。

 いつか書いた、自分の夢。

 いつからか、ただ受け入れるように、諦めてしまっていた夢。

 ろば書林に入社し、出版に携わることができて、満足したつもりでいた。

 今から、小説家になろうとは思わない。

 でも、書いてみよう。

 書いてみたい。

 そう思った。


 星太朗は押し入れを漁り、使っていないノートを見つけると、まず匂いを嗅いだ。古いのに、まだ心地よい紙の香りが残っている。

 表紙を開いて折り目をしっかり付けると、丸くなった鉛筆を丁寧に削り始める。

 真っ黒な芯を見るのは久しぶりだ。遠慮がちに光りながらも、触ると痛いくらいに尖ったその芯を見つめてから、先っぽでノートに触れた。


  死ぬのが怖いのは、どうしてだろう。


  自分がいなくなってしまうから。

  まだ人生を楽しめていないから。

  その先に、何があるかわからないから。

  いや、どれも違う気がする。


 そこまで書いて、手を止める。

 ちらっとムッシュのことを見る。

 それから、今の想いを、まっすぐノートに伝えた。



 それは、大好きな人と、別れないといけないからだ。



次回の更新は、5月5日(金)です!


話すぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語!


『さよなら、ムッシュ』片岡翔

この連載について

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さよなら、ムッシュ

片岡翔

あの日。気がついたら、その子は話しはじめていた。コアラのぬいぐるみのはずなのに。 それ以来、彼はそのことを20年間秘密にして、生きてきた――。 気鋭の新人映画監督・片岡翔が初めて小説『さよ...もっと読む

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