突然余命を告げられても、叫びたくもならないし、涙も出てこない

自分の人生が、もうすぐ終わる__。余命を宣告されたのに、星太朗はまるで他人事のように考えていた。今は心が凪いだような状態だけれど、これが続いた先には、何があるのか? 星太朗は、いつか追いかけてくるかもしれない不安と恐ろしさから逃げるように、校正作業に没頭する。だが、確実に病は星太朗の体を蝕んでいくのであった。
ぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語小説『さよなら、ムッシュ』を特別先行掲載! GW8日間連日公開です。イラストは、なんと松本大洋さんの描きおろし!

 翌日は日曜日だったが、星太朗は出社して粛々と原稿に向かい続けた。

 突然余命を告げられると人間はこんな風になるのかと、まるで他人事のように考えていた。叫びたくもならないし、涙も出てこない。

 自分の人生が、もうすぐ終わる。

 ただそれだけが、頭の中に居候するように、じっとりと漂い続けていた。

 星太朗は、自分が死んでしまう夢を見る事が多かった。

 夢の中で死を悟ったときは、あぁ、もう終わってしまうんだ、という単純な思いしか頭に浮かばなかった。辛さとか哀しさとは違う、無理に言葉にするなら、寂しさのような感情。それは、現実でもさほど変わらないように思えた。ただ、現実が夢と大きく違うのは、いつまでも醒めないことだ。

 この感情が続いた先に何が見えてくるのか。得体の知れない不安と恐ろしさが、まだ心のどこかに隠れている。そんな予感がしていた。

 星太朗はそれが来るのを拒もうと、ただひたすらに校正作業に没頭した。そうして普段よりも速いペースで仕事が進んでいった。

「あ、しゃっくり止まってる」

 西野さんが出社してきたことにすら気付いていなかったので、突然話しかけられて驚いた。

「あ、いや、昨日、病院に……」

 口ごもると、西野さんは興味津々な顔を向けてくる。

「どんな治療したの?」

「あ、えぇと……ちょっと、驚かされまして」

「え、すごっ。何されたの?」

「いや、何されたってことではないんですけど、体の説明をされてるうちに、しゃっくりのこと、忘れてたみたいで……」

 星太朗は嘘をつくのが苦手だ。かと言って、本音を言うのも得意ではない。なのでこんな風に、嘘をつかずに済ませる言い方を自然と身に付けていた。

「さすが、医者は違うね」

 西野さんは楽しいのかつまらないのか、どちらにでも見える顔をして仕事に戻っていった。

 その頃、ムッシュは星太朗の机でノートパソコンを開いていた。おじいちゃんが買ってくれた医学事典はもうずいぶんと古いからだ。

 サファリを開き、グリオーマと打ち込む。

 ムッシュの手はミトン形で、人間のような指は無い。だからキーボードの文字を一つずつ慎重に叩かなければいけない。その度に、人間の便利な体の作りに感心し、五本指に作ってくれたら良かったのにと、お母さんを想う。でも今日は、そんな思い出に浸っている余裕は無かった。

 十五万九千件の検索結果が現れ、目に留まったページを開いていく。注目してしまうのは、やはりその平均余命だ。星太朗が言っていたグリオーマのグレード4、いわゆる膠芽腫というものに侵された場合、平均余命は約一年半と書かれている。半年と宣告された星太朗の脳は、一年も前から蝕まれていたのだろうか。

 ふと、星太朗が普段から頭痛に悩まされていたことを思い出す。単なる偏頭痛だと言っていたが、どうしてもっと早く検査しなかったのか。させなかったのか。

 ムッシュは悔しくておもいきりキーボードを叩く。だけど、早期発見でも結果は変わらないという記事を読むと、まともに後悔もできなくなってしまった。

 膠芽腫は、脳に染み込むようにじんわりと広がっていく。だから摘出は難しく、現代の医学でも完治は不可能らしい。

 しばらく色々な情報を漁ってみたが、嬉しい情報は何一つなく、ひたすら辛くなる一方だった。

 ため息が出て、ヒゲが寂しく揺れる。

 人間はいろいろと便利にできているのに、なんでこんなに不自由なんだろう。

 左上のリンゴマークをクリックして、〈システム終了〉を押す。それからさらに〈はい〉を押して電源を落とす。これも同じだ。ラジカセのようにボタン一つで切ることができないなんて。便利すぎるものは、だいたいとても不便でもあるんだ。

 ムッシュはそんなことを思いながら、人間のように頭を抱えた。

 星太朗はお昼を食べることも忘れて、黙々と言葉を直し続けていた。

 脳に大きな腫瘍があるのに、滞りなく言葉は流れていく。団地に鎮座するタコのように、薄汚れた赤色の、ヒビだらけの自分の脳を想像する。そこに流れ込み、うねりながら検査されていく言葉たち。間違った者がいると問答無用にはじき出す自分が、少しだけ恐ろしかった。

 ふと気が付くと、赤鉛筆が言う事をきかない。いや、言う事をきかないのは赤鉛筆じゃない。自分の右手だった。ぷるぷると、小刻みに震えているのだ。

 星太朗は焦り、左手で右手を押さえつけた。だが右手の震えはさらに大きくなる。おもいきり右手に力を込めると、真っ赤な芯がやわらかく折れた。

 思わず、赤鉛筆を足下のゴミ箱に叩き付け、そのまま廊下へと飛び出す。トイレの個室に駆け込むと、鍵を閉めて壁にもたれかかる。全速力で走った後のように息が切れていた。

 ズキズキと締めつけられるように頭が痛い。倒れるように便器に座り込み、こめかみに手を押し付ける。右手の震えが頭蓋骨に伝わってくるのを感じながら、それでも指に力を込め続けた。

 痛みの波が少しずつ引いてくると、トイレを出てポケットから薬を出す。いつもなら絶対に飲めないだろう洗面所の水をすくって、喉に流し込む。

 乱暴に顔を洗って鏡を見ると、目は真っ赤に血走っていた。


 それから星太朗は、何事も無かったかのようにデスクに戻った。

 ゴミ箱を覗くと、折れた赤鉛筆が見える。

 最低なことをしてしまった。

 ごめん。

 星太朗はそれを拾って心の中で謝ると、鉛筆削りでゆっくり削り始めた。

 子どもの頃から、鉛筆を削るのがとても好きだった。くるくると回りながら、薄く皮を剥かれていく鉛筆。その感触がとても心地よい。つやつや光りながら尖っていく芯を見ていると、自分まで生まれ変わったような気分になった。

 赤い粉が、左手を汚している。

 気が付くと、これ以上削れないほど赤鉛筆を回していた。

 ごめん。

 星太朗はもう一度謝って、仕事を再開させた。


 それからしばらくの間、星太朗は同じような毎日を過ごした。

 トイレに駆け込むことが多くなったので、西野さんが正露丸をくれた。一度だけ、個室から出たときに小南くんと鉢合わせになり、慌てて真っ赤な目を隠したが、彼は髪のセットで忙しそうだった。

 遅くまで残業するのはやめた。でもそれは、その必要がないくらい仕事のペースが速くなったからだ。

 もう一度病院に行くと、詳しい検査結果を告げられた。

 今後の治療について相談されたが、そんなことは考えたくなかった。薬物投与や放射線治療によって、いくらかは延命が可能かもしれない。けれど半年が一年になるということは、辛い時間が二倍になるということでもあるのだ。


次回の更新は、5月3日(水)です!


話すぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語!


『さよなら、ムッシュ』片岡翔

この連載について

初回を読む
さよなら、ムッシュ

片岡翔

あの日。気がついたら、その子は話しはじめていた。コアラのぬいぐるみのはずなのに。 それ以来、彼はそのことを20年間秘密にして、生きてきた――。 気鋭の新人映画監督・片岡翔が初めて小説『さよ...もっと読む

この連載の人気記事

関連記事

関連キーワード

コメント

Tweetがありません