最後の決断
「ぜんぶ元に戻す。オッサンの計画を〝ゼロ〟に戻す」
そう言うと、由里子は、え!? という顔をした。
由里子は俺と、正式につきあい始めた。
少し落ち着いたら、オッサンに仕事を紹介してもらって、一緒に暮らす……由里子の描いた、希望的な俺たちの将来設計だった。
けれど俺の切り出した決断は、全部をひっくり返す提案だ。
「何もかも、なかったことにするんだ。オッサンが変えてしまった歴史。テクノロジーの進化が20年ほど進みすぎたこの世界。みんな元通りにするんだ」
「元通りに……?」
「そうだ。いまのこの世界は、あり得るはずのなかった未来だ。オッサンが意図的にデザインした、人工の産物だ。悪い世界ではない。暮らしやすく便利になった。sPhoneやグレインホースは、現代文明の理想の道具だ。
でも、オッサンがやることじゃない。
堀井健史が2017年の現在に、成し遂げることじゃなかったんだ。
本当の歴史は、そう選んでいたはずなんだ。
けれど歴史をカンニングして、オッサンは〝錬金術師〟になってしまった。
結果としてオッサンは、自分のつくった歪な時間軸に、閉じこめられてしまったんだ。
西島さんたちを操ったつもりかもしれないけれど、彼らは何にも縛られていなかった。
操られているのは、オッサンなんだ。
オッサンは一生、操られて、不自由なまま死ぬ。
触ってはいけなかった歴史の摂理にタッチした罰なんだ」
由里子は、ひどく困惑した顔をしている。
「言いたいことは正直よくわからないんだけど……タイムスリップを発明してからのお兄ちゃんが、少しも幸せそうじゃないのは、わかる。何とかしてあげたいとは、私も思ってた。優作が、お兄ちゃんを助けてくれるってこと?」
俺は、肯定とも否定とも言えない、曖昧な気持ちで小さく頷いた。
「オッサンが望んでいないとしても、俺は、オッサンを解放する」
「どうやって?」
「もう一度、タイムスリップする」
「えっ。どこへ行くの?」
「どこでもない。タイムスリップしたままだ」
由里子は、息を呑んだ。
俺は考えた。すべてをゼロにする方法を。
考えに考え抜いて、最後に導き出した方法は、ひとつだった。
俺とオッサンが数年前、山手線駅前のゲームセンターで出会ったあの日から、ぜんぶ始まった。
鳩ゲーでの起業、激しいマネーゲーム、ヤマトテレビ買収、そして逮捕、裁判から収監……オッサンの狙いがどうであれ、俺とオッサンの歴史は密接に関係していた。因果律を共有しているのだ。
オッサンがタイムスリップを発明するまでの時間のルートには、俺という存在が深く関わっている。何より俺がいなければ、オッサンは過去を変えることはできなかったのだ。
俺が、オッサンと出会うという事実を、もろとも消す。
そうすれば歴史は「ゼロ」に戻る。
藤田優作のいない歴史が立ち上がれば、タイムスリップは行われない。マクロソフトやアップル・ガレージがITの覇権を獲る、本来の歴史に回帰するはずだ。
由里子は聞いた。
「つまりタイムスリップしたまま帰ってこない、っていうこと……?」
俺は今後こそ、はっきり頷いた。
「自殺したり、失踪するとかじゃ藤田優作の残した、歴史の因果律は消えない。俺の存在点を消去するためには、時間の〝縛り〟から抜け出さないとダメだ」
「じゃあ……」
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