ピーターパンが子どもを殺す、とぬいぐるみは言った

星太朗の誰にも言えないヒミツとは、しゃべるコアラのぬいぐるみ、ムッシュと暮らしていることだった。
世にも不思議な存在のムッシュ。彼は、布と綿でできているのに、歌うことも動くこともでき、感情もある。
まるで、人間のように……。
そんなムッシュは、しゃっくりの止まらない星太朗を驚かそうと、ある問いかけをする。
なぜ、ネバーランドには子供しかいないのか、と。
ぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語小説『さよなら、ムッシュ』を特別先行掲載! GW8日間連日公開です。イラストは、なんと松本大洋さんの描きおろし!

 星太朗の部屋は六畳の和室で、飾り気は全く無い。

 目立つのは、母が使っていた赤い文机と、お揃いの色の座椅子だけ。壁には平凡なタンスと安物の本棚が並び、その側面は子どもの頃に貼ったシールで埋め尽くされていた。

 部屋着に着替えると、布団を敷いてそば殻の枕を高めに固める。ちょうど良い高さができると、横になって読みかけの小説を開いた。

 仕事じゃなく読書をするときは、たっぷり時間をかけて読むことにしている。流すようなことはしない。ゆっくりと、言葉を頭に染み込ませていく。決して間違いを探さないように。仕事とは異なる丁寧さで、じっくりと。

 星太朗にとってこの時間は至福、とまではいかないけれど、唯一楽しいと思えるひとときだ。あれほど悩まされたしゃっくりの音でさえ、遠のいていく。

 襖が開いてムッシュが入ってくる。

 襖といっても、その下の部分に四角い穴を開けて、猫のドアのように設えたムッシュ用の小さな襖である。

「ねぇ、ネバーランドって、どうして子どもしかいないか知ってる?」

 星太朗にとって、読書の邪魔をされるのはとても気分が悪いことだ。けれどそれに腹を立てる自分こそが、一番の邪魔者になってしまう。だからこういうときは、感情を込めずに、さらりと、事務的に返事することを心がけている。

「さぁ」

「驚きの事実だよ」

 ムッシュはにやけながら、たっぷり間をあけて言った。

「みんな、大人になったらピーターパンに殺されるんだって」

 ピーターパンが子どもを殺す? 子どもたちのヒーローの、あのピーターパンが? そんなことはあり得ない。

 問い質そうとするが、思いとどまる。それこそムッシュの思うつぼだ。かまってほしくて嘘をついているだけに違いない。

「ビックリした!? ほんとだよ? 嘘じゃないからね」

 ひっく!

 驚きと一緒に、一際大きなしゃっくりが飛び出す。

 するとムッシュは、大袈裟にため息をついた。

「あーぁ、ダメかぁ……。今絶対ビックリしてたのに……」

 どうやら星太朗を驚かせようとしていたらしい。

「あのね、しゃっくりを止めるには、ビックリしたらいいんだよ」

「いや、知ってるし」

「え、ほんと? じゃあ、百回続けて出たら死んじゃうっていうのは知ってる?」

「そんなの、常識だから」

「え、そうなの? じゃあやばいでしょ! がんばってビックリしないと!」

 ムッシュは頭が良いのに、けっこう馬鹿だ。

「いや、常識だけど、真実じゃないから。それはただの迷信」

「え、そうなの?」

「本当だったらもうとっくに死んでるよ」

 星太朗はしゃっくりをしながら、本に目を戻す。

 数えてなんていないけど、百回なんてとうに超えていた。

「本当じゃないことが常識になってるの? なにそれ、意味わかんない」

 ムッシュはぶつぶつ言いながら、カーテンを開ける。

「今日天気いいから、コアラ座が見えるかもよ」

 コアラ座とは、小学生のときに星太朗が作った星座だ。二人でたくさんの星座を考えたなかで、ムッシュが一番喜んだ星座。その理由は言うまでもない。

「あぁ、雲一つ無いなぁ。コアラ座、見に行きたいなぁ」

 無視をするつもりはないが、星太朗は小説に集中したかった。返事をしないでいると、ムッシュは次の手に出る。

「あ!! UFOだ!!」

 驚かせたいのか、ただ気を引きたいのか、散歩に出たいのか。どれかはわからないけれど、きっとどれも正解だ。

「アンアイデンティファイド・フライング・オブジェクトだ!!」

 ムッシュがUFOを略さずに叫ぶ。だが星太朗だって物知りな方なので、それくらいのことでは反応しない。面倒なことにならないように断りだけ入れておく。

「悪い、今いいところなんだよね」

 あっさりと、事務的に。かといって、機嫌を損ねないように。

 するとムッシュはくるっとターンして、フランス語で返事をした。

「ウィ」

 颯爽と部屋を出ていくその背中が、紳士を気取っている。

 ムッシュも歳をとってきたからか、いつからか素直に遊んでほしいと言わなくなった。そんな様子を見ていると、少しは名前が似合ってきたな、と思う。

 ムッシュという名前は、星太朗が決めたわけではない。

 幼い星太朗が名前を考えていると、

「君はムッシュだね」

 おじいちゃんが立派なヒゲに触れて、そうつぶやいたのだった。


 窓から風を入れ、読書を再開する。けれど、どうしても殺人鬼のピーターパンが頭に浮かんでしまう。

 しかたなく本を置き、お風呂のお湯を溜めに行った。

 服を脱いでいると、居間からカラオケが聴こえてくる。

 ムッシュの十八番、スーダラ節だ。

 歌うことが大好きなムッシュは、おじいちゃんが集めていたカラオケのテープ、通称〈倫太朗コレクション〉を、そっくりそのまま受け継いだ。一緒にもらった赤いラジカセを大事に手入れして、毎晩のように歌っている。

 星太朗はジップロックに小説を入れて、湯船で続きを読み始める。ページをめくるのがひどく面倒だが、そうまでしても本の続きを読みたかった。

 お風呂の中にまで聴こえてくる歌は、植木等から南こうせつになっている。昭和なチョイスばかりだが、話しかけられるよりはマシだし、流行りの歌よりは心地よい。

 それに今は、ペースを上げたしゃっくりの方が邪魔になっていた。

 息を止めて、湯船に潜ってみる。

 ひっく!

 大きなあぶくが浮かんだだけだった。


 毎朝六時に、星太朗は時計を使わず目を覚ます。

 カーテンは開けずに布団を畳み、タンスからシャツを出してパジャマを脱ぐ。

 すると後ろから、可愛げなしゃっくりが聞こえた。

 ひっく

 振り返ると、隣に敷いた小さな布団からムッシュが起き上がっていた。

「いやー、ぼくもだよ。まいったなぁ。横隔膜がうずいちゃって」

 ぼそぼそ言いながら、ムッシュはもう一度しゃっくりをしてみせる。それはあきらかに、出ているのではない。出しているのだ。

 星太朗は何も言わずに、襖を開ける。

 振り返るとムッシュが何か言いたげなので、返事代わりにしゃっくりをした。


次回の更新は、4月30日(日)です!


話すぬいぐるみと出版社校正男子の切なさMAXの友情物語!


『さよなら、ムッシュ』片岡翔

この連載について

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さよなら、ムッシュ

片岡翔

あの日。気がついたら、その子は話しはじめていた。コアラのぬいぐるみのはずなのに。 それ以来、彼はそのことを20年間秘密にして、生きてきた――。 気鋭の新人映画監督・片岡翔が初めて小説『さよ...もっと読む

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