まもなく嵐がやってくる
いい天気だ。
これから台風がくるなんて信じられないほど、空は晴れわたっている。
昼過ぎには風が強まると聞き、私たちは平日の朝だというのに早起きをして畑に出ていた。嵐に負けないように、野菜たちの守りをかためるためだ。
「トンボがずいぶんふえたねぇ」
近くの田んぼで育ったトンボが、農園の空でも遊んでいる。
古来、日本ではトンボを「秋津」と言い、日本の国は「秋津島」と呼ばれたそうだ。なんでも、神武天皇が山から国を見おろして、「秋津が交尾しているような形だな」と言ったことに由来するという。
日本地図をどうひっくり返せばトンボの交尾に見えるのか、御上の発想についていけない私だが、秋の田畑にこの虫が群れ飛ぶ様は、昔から変わらぬ秋津島の原風景だろう。
「トンボって、天気予報なんかなくても、台風が来るってわかるんだろうね」
彼らのホバリングに見とれて言うと、夫も目を上げた。
「きっとね。『きょうは羽根が重いから雨が近いな』とか感じるんじゃない?」
地域によっては、トンボが低く飛ぶと雨 という言い伝えがあるそうです。
「あのねぇ、そーそーはね」
トンボはどこかで嵐をやりすごすのだろうが、植物には逃げ場がない。だから菜園家は、たいせつな野菜に被害がないよう、事前に手当てをする。
「N村さんは、昨日のうちにすませたみたいだね」
夫は、隣の畑を横目に、キャベツの苗にかけた防虫ネットが風で飛ばないように点検している。私は、ピーマンに支柱を増設し、あっちもこっちも何か所もビニールテープでしばりつけた。
支柱があまいと、こうなってしまうからです。
「うーむ、まだ心配だ」
ピーマンは、うまくいけば1株で100個以上も実がなる。まだまだ働いてもらわないと困るのだ。
「ぜったい倒れないようにしなくちゃ」
立ち上がって畝を見ていた私は、最良の策をひらめいた。畝に並ぶピーマンの支柱を全部つないで、一体化すればいいじゃないか。すごいぞ、私! 天才だ!
さっそくビニールテープを長く引っぱり出し、1株目の支柱に結ぶと、隣の株の支柱にも結んでいく。
「♪コイツをしばって~ つぎにコイツをしばって~」
鼻唄まじりに夢中で作業していると、
「ねえねえ」
知らぬ間に、夫が背後に立っていた。
「ん? 何かな?」私の名案に感心しているんだね? そうなんだろう?
「あのねぇ、そーそーはね」
「そーそー? なんだい、それ?」私は笑顔で夫を仰いだ。
「曹操だよ、三国志の。知ってる? 曹操はね、赤壁の戦いのときにね、船をみんな鎖でつないで一体化しちゃったんだよ。それで、ひとつに火がついたら、ぜ~んぶ燃えちゃったんだよね」
セキヘキの戦いなんて聞いたこともないが、明らかに私のピーマン倒壊防止策を批判しているのだ。
「そんなことをすると、1本倒れたら共倒れだよ」と言えばすむものを、わざわざ三国志を引き合いに出すなんて。
故事にたとえて非難されると、私はなぜか反論できなくなる。顔を真っ赤にして「うううっ」と唸り、やっと言い返せたのはこの一言だけだった。
「うるせー! だまれ!」
結局ピーマンたちは、夫の策により、電車ごっこをするようにひもで囲まれることになったのだ。
私なら、三国志の助けなど借りずとも、夫をだまらせる自信がありますけどね。
船が揺れなくなりますよ
「台風大丈夫? 畑を見にいっちゃだめだよ。危ないから」
その夜、弟が電話をくれた。心優しい我が弟は、台風や地震の際に私の安否確認をしてくれるのだ。
「うん。それより聞いてよ」
私は、今朝の腹立たしい話を彼にして聞かせた。
「——そしたらオットのやつ、三国志のナントカが船をまとめたら一気に燃えたって言ったんだよ。ひどくない? それでピーマンはさ……」
「レンカンノケイですね」
「は?」
「それは『連環の計』といいましてね。曹操の敵方が考えた策で……」
しまった!
うっかりしていたが、弟も三国志が好きなのだ。
なにしろ弟の名前は、三国志マニアの父によって、三国志の登場人物からつけられている。父が得意げにその話をしたとき、私は自分の名が「劉備」じゃなくてよかったと、心底ほっとしたものだ。
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