ジャーナリストには受け入れられない書籍だった
ヨリス 実は、今回の書籍はジャーナリストには受け入れられていないんですよ。
大友 そうなんですね。一体、なぜなんですか?
ヨリス まず、本来のジャーナリズムは自分自身が物語になるべきではない一方、今回のアプローチでは書き手が自分の物語を多少入れないと話が動いていかない点です。
大友 確かに「ナラティブ・ノンフィクション」(Vol.2 参照)はある意味、書き手が主人公ですね。従来のジャーナリストのアプローチとは異なる。だからこそ、ただの記録とは違い、そこに責任が生まれてくるわけですが。
ヨリス あとは、ジャーナリストには権威的で「自分だけがこの事柄についてわかっている。だから、あなたたちはこれを読んで学びなさい」という態度の人が多いことも影響していると思います。
大友 なるほど。
ヨリス 例えば、金融系の本を書くジャーナリストは、読んだ人が理解することよりも、業界の人が読んで「この本はすごい」と言ってくれることの方が大事だと考えていることが多いのではないかと感じています。
大友 確かにそうかもしれませんね。
ヨリス ただ、ありがたいことに『なぜ僕たちは金融街の人びとを嫌うのか?』は、オランダで2015年に一番売れた本になりました。それもあって余計、ジャーナリストたちは面白くないと感じているはずです(笑)
大友 認めてないものが売れているわけですから、面白くないでしょうね(笑)。一般の読者の反応はどうですか?
ヨリス 「まさか自分が金融業界の本を読むことになるとは思わなかった」という声をよく聞きますね。「読んでみて自分が馬鹿じゃないということがわかった」という声もありました。
大友 これまで読者が敬遠していた金融という複雑な業界について、わかりやすく紹介できているので、多くの人に受け入れられたんでしょうね。
ゼロから学び、プロセスをオープンにすることの可能性
大友 今は「何が本当か」というのがわからない時代ですよね。ノンフィクションとフィクションの境界線が曖昧になっている。
ヨリス フェイクニュースや署名もなく誰が書いているかわからない記事が出回っていますね。
大友 そうなると、署名ありで発信できる人の力が大事になっていきますよね。もちろん、組織のバックアップも必要だけど、組織よりも個人の力が重要になってくるんじゃないかな。
ヨリス そう思います。個人の役割は大事ですね。
大友 記事を書いた人の顔が見えると、情報が活きてくる感覚があります。真偽のわからない情報が飛び交う情報戦争のなかでは、署名での発信や発信者の清廉さが必要だと思います。
ヨリス その点は本当に意識しなければならない点だと思います。
大友 これまで責任ある立場の人が署名入りで何かを伝えるとき、発信者は伝えることについて全部知っているという前提がありました。でも、現代は事象が複雑化していて、すべてを知った上で発信するというのは、不可能だと思うんですよね。
ヨリス すべてを知った状態になるのは非常に難しいですね。その前提のままでは情報発信ができなくなってしまう。
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