金と権力に勝るもの
最後に訪れたのは、N区の端っこにある、小さな2階建ての木造アパートだった。
集合ポストの101号室の名前欄に、「西島」とマジックで書いてあった。
101号室をノックすると、部屋の中からドカドカと足音がした。ドアが開いた途端、年月を重ねたぶん少し老いた、通りのいいあの声が聞こえた。
「優作──!! 待ってたで! 懐かしいわぁ!」
「西島さん……」
61歳になった彼を見て、少し息が止まった。
げっそりと痩せていた。
眼窩は落ちくぼみ、頬は穴が空いたみたいにこけ、喉仏がくっきり浮いている。パッと見た感じ、古畑よりも痩せていた。MSX-Xのイベントのときは、ぷくぷくに太っていたのに。身体の線は、30年で半分ぐらいの細さになった印象だ。
服装はところどころ染みだらけの、ボロボロのスエットだった。着る物には金を掛けていたはずだが、そんな余裕がないのだろう。
量販店で買ったような眼鏡は、フレームがわずかに歪んでいた。
肌はどす黒く、くすんでいた。顔は嬉しそうに笑っているけど、透きっ歯が目立った。
「お前はいつも突然、姿を消して、何年かしたら現れる、おかしなヤツやな!」
「ああ……すみません」
「まあええ、あがれあがれ」
と言って西島は、俺を部屋にあげてくれた。
六畳一間のアパートの部屋は、お世辞にもきれいとは言えなかった。
パソコン雑誌や脱ぎっぱなしの衣類のほか、カップ麺の空きカップなど、足の踏み場がないほどゴミだらけ。コンロがひとつの台所にも、何やかんやと荷物が詰まっている。
きれい好きな男だと思っていたが、その印象はまるで残っていない。
ギョッとしたのが、部屋の隅に散乱しているワンカップの空き瓶だった。
「西島さん、酒を飲むようになったんですか?」
「ああ。会社辞めてから、ズルズルとな。飲んでみると、止められへんもんや」
と言って、新しいワンカップのフタを、パカッと開けた。
そして美味そうにぐい飲みして、「くーっ!」とうなった。
高級なお茶しか飲まなかった男が……時の流れと、その間に起きた変化に思いを馳せずにはいられなかった。
西島は、ふらりと足下をぐらつかせて言った。
「お前が来てくれて、ほんまに嬉しいよ。今は何をやってるんや?」
「まあ、相変わらずいろいろ、やってますよ」
「そうか。元気そうなんは何よりや。俺のほうはな」
「だいたい、存じ上げてます」
西島のその後の歴史は、ウィキペディアなどネットの情報に載っていた。
マクロソフト副社長を解任された後、アーキテクトの社長も退いた。
新しいソフトウェア会社、出版社、代理店……多くの新会社を興すが、いずれも失敗。コメンテーターとしてメディアに出ることもあったが、女性問題や人間関係のトラブルで干される。実家の資産も使い果たし、50代で自己破産した。
現在まで独身。都内の小さなIT会社で、エンジニアの契約社員をしているという。資産はゼロだ。
かつてグローバル企業のトップで、ファーストクラスでの海外移動と高級ホテル暮らしが当たり前だった男の、侘びしい末路だった。
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