ありがとう」とは言われにくい仕事—ギルバート・ベイカー氏の訃報に寄せて

数日前、牧村さんは一人のアメリカ人男性の訃報を知り、ショックを隠せませんでした。彼の名はギルバート・ベイカー氏。ベイカー氏は一体どんな人だったのでしょうか? 「私だっていつか死んじゃうから、ちゃんと言葉に残したい」と、牧村さんがベイカー氏の生きざまを綴ります。

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4月1日だった。嘘であってほしい、と思った。

スマホでtwitterを眺めていたら、こんなニュースが飛び込んできた。「レインボーフラッグを作ったアーティスト、ギルバート・ベイカー氏、65歳で亡くなる」。私は何度も検索し直した。複数のメディアが同じことを言っていた。自室を無意味にうろうろ歩き回り、うろうろうろうろうろうろして、そして、へたり込んだ。涙で前が見えなくなったから。

たぶん、だけど、これを読んでくださる方々の多くは、こうお思いになるのではないだろうか。

「ギルバート・ベイカーって誰?」

それもそのはず。彼は、自分の名を売ろうとしなかったアーティストだからだ。アトリエも持たず、ラフな格好で、一人暮らしの自宅で制作を続けた。39年間、一つのテーマで。

彼のつくったものは、世界中の空にはためいている。ある時は、愛と自由と平等をうたうフランスのパレードで。ある時は、殺されたLGBT解放運動活動家を悼むウガンダの人々の集会で。大きなものはワシントンの政治家の手に、小さなものはモスクワの作家のひきだしの奥に。日本でも、女子制服を強制された性同一性障害の高校生がささやかな抵抗の証としてつけるブレスレットから、看板を出せないゲイビデオ屋ののれん代わりにまでなっている。

あなたも、見たことがあるのではないだろうか。ギルバート・ベイカー氏は、“人間のあり方は色とりどりの虹のように多様だ”というメッセージを込めて、LGBTsコミュニティの象徴として使われてきた旗、レインボーフラッグを創り出したアーティストなのだ。

ベイカー氏に会いたくて

彼は、本当に気取らない人物だった。私のような、東の果ての日本って国からリュックをしょって一人でやってきた物書きの取材にも、「OK!」の一言で応えてくれた。むしろなぜ取材に応じてくれたのかと、後日聞いてみたら、答えはシンプルだった。

「I liked your email.(あなたからのメールを気に入ったからです)」。

そのメールとは、動画つきのこんな内容のものだった。

「はじめまして。私はこういう人物で、こんな本を書きたいと思っています。ベイカーさんのお話をどうしても伺いたいんです。ごらんください。ここは東京、これが私のおうちです。ここから飛行機で向かいます」

……英語もうまくなく、大手メディアにいるわけでもない私が、普通に取材依頼しても通らなさそうだから、3分くらいのビデオレターを作って送ったのだ。2016年7月のことだった。見てすらもらえないかと思ったが、ベイカー氏は直接返事をくれた。気さくに自宅へ招き、レモネードを振る舞ってくれた。

そういう彼のことを、忘れたくなくて、私だっていつか死んじゃうから、ちゃんと言葉に残したくって、私は、書くことにした。公式サイトによれば、未完の自伝を遺して亡くなったらしい、ギルバート・ベイカー氏のことを。

自殺するか、社会的に抹殺されるか

ベイカー氏は1951年、カンザスの小さな町に生まれた。カンザスといえば、2016年にだって、壁を虹色に塗った家に「ファック、クソホモ」と落書きされ7発の銃弾をブチ込まれるくらいLGBTへの暴力が激しい場所である。(参考:Pinknews

やがて徴兵され—ベイカー氏の冗談めかした言葉を借りれば「米軍に誘拐され」、サンフランシスコに送られる。当時の米軍は、同性愛者であると判明した人物を解雇していた。同性愛を理由に解雇となれば、次の職を見つけるのも難しくなる。そんな中でベイカー氏は、血まみれでうめくベトナム戦争傷病兵を救護しながら、ゲイである自分を隠し続ける日々に絶望していたという。自殺するか、社会的に抹殺されるかだ。

それでも、ベイカー氏は、生きた。

米軍に“誘拐”された先で、ベイカー氏は、世界の広さを知ったのだ。生まれ故郷のカンザスは、彼にとっては、海も希望もない場所だった。だがサンフランシスコには、美しいウェストコーストのビーチがある。潮風と太陽の中で、生きたいように生きる若者たちがいる。「カトリック教会から課される結婚よりも、自由と平等を。国家から課される戦争よりも、愛と平和を」—そんなサンフランシスコの人々の中には、後に、アメリカで初めてゲイであることを隠さずに政治家になった人物、ハーヴェイ・ミルクもいた。

そうした出会いを重ね、ベイカー氏は政治全般に興味を持つようになり、米軍除隊後の1974年からゲイ解放運動に参加するようになった。サンフランシスコでの、新しい人生だ。取り急ぎ、職を見つけなければ。そんなベイカー氏に、ファッション好きの友人女性は、裁縫のいろはを教えてくれた。その先は独学で技術を高めて、それで生計を立てながら、「ゲイの権利、人間の権利のための旗」を制作していったという。

「私はサンフランシスコにいたんです。ファッションよりも、ゲイ解放運動が盛んな場所に。ゲイの進軍先……いや、進軍と言うべきじゃないな……移民先であったところに。家庭を追われ、故郷を追われた人たちが、新しい居場所、新しい家族を見つける大きな街・サンフランシスコに」

驚異的なスピードで広まったシンボル

そして、1978年6月25日。サンフランシスコでの暮らしが始まってから、4年後のこと。

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ハッピーエンドに殺されない

牧村朝子

性のことは、人生のこと。フランスでの国際同性結婚や、アメリカでのLGBTsコミュニティ取材などを経て、愛と性のことについて書き続ける文筆家の牧村朝子さんが、cakes読者のみなさんからの投稿に答えます。2014年から、200件を超える...もっと読む

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コメント

chilican_tw ベイカーさんが亡くなった時にも牧村さんは追悼エッセイを書いている。こちら https://t.co/Urfc3hWNeA 9ヶ月前 replyretweetfavorite

3839Ay 「虹は、誰のものでもないからね(Nobody owns rainbow)」かっちょよい。 約2年前 replyretweetfavorite

kaiyg 「虹は、誰のものでもないからね(Nobody owns rainbow)」 約2年前 replyretweetfavorite

tks564bys0000 【コラム】 約2年前 replyretweetfavorite