前回は、新幹線でのシートの倒し方について、常識やマナーの限界を考えた。
日本は“おもてなし”の心を自負しているけれど、もしかすると、それが「ローカルな常識の押しつけ」になっていることはないだろうか?
先日、開いたホームパーティーで、それを考える体験があったので、今回は「おもてなし」がすれ違う状況について語りたい。
ボストンの自宅で、50人ほどが集まる「ご近所パーティ」を主催することになった。そこで、赤ワインと白ワインをそれぞれ1ケース買い、当日は朝から料理をした。娘からの強いアドバイスで、手作りだけでなく、冷凍食品も利用して負担を軽くすることにした。
ちょうど(アメリカ人の)夫の母親が訪問しており、調理中の私にメニューを尋ねた。説明している途中で、彼女が遮った。
義母「なぜ、ベジタリアン料理なんか作るの?」
私「野菜しか食べられない人もいますから」
義母「あなたは、親切すぎるわ」
私「特に親切というわけじゃないですけど」
義母「私ならしないわね。こっちが出したものを食べたくないなら、食べなければいいのよ。それぞれのわがままに合わせる必要はないわ」
私「わがまま、というわけではなく、アレルギーや宗教的な理由で食べられない人もいますから」
義母「それなら、食べなければすむこと。そういう人のことまで考えてあげる必要はないと私は思う」
私は心中ため息をついた。
頑固者の義母の考え
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