「のび太の生き方肯定論者」の出現
以上のような動きを受け(前回参照)、今度はゼロ年代初頭くらいから「のび太の生き方肯定論者」が出現しはじめる。彼らの主張を拙著から引こう。
のび太はドジで泣き虫だけど、争いを好まず、優しい心の持ち主で、滅私の精神を持った人間。
そして、普段はダメでもここ一番では勇気をふりしぼって頑張る。義理堅く、(主にドラえもんに対して)友情に熱い。だからこそ、しずかちゃんと結婚できたのだ。
(稲田豊史『セーラームーン世代の社会論』より一部改変して抜粋)
残念な子の象徴だったはずののび太が、「こんな生き方があってもよいのでは」という主張の神輿に利用される。これは当時の世情とも無関係ではないだろう。
ゼロ年代初頭といえば、自民党・小泉政権(2001〜06年)が新自由主義的な政策を掲げ、経済格差の拡大傾向が糾弾されていた頃。ロスジェネ(1990年代後半〜ゼロ年代前半の就職氷河期に就職した世代)の窮状が議論されるなか、〝能力のない〟人間が切り捨てられる悲惨な状況が、毎日のようにニュースで報じられていた。
負け組としてカウントされたくない若者は、SMAPのメガヒット曲『世界に一つだけの花』(2002年にアルバム『SMAP 015/Drink! SMAP!』収録、03年放映のドラマ『僕の生きる道』の主題歌に起用されてブレイク)で歌われた「ナンバーワンよりオンリーワン」を心の拠り所として、弱肉強食な競争社会の土俵から降りるしかない。やがてこの流れは、「ニート」「高学歴ワーキングプア」という言葉に結実し、「自分を探すためにアジアへ貧乏旅行に出かける」などという、ちょっと笑えない若者を増産させてゆく。
そういったなか、ダメでもバカでも「優しくていい奴」でさえあれば大丈夫—その象徴たるのび太という存在に、俄然注目が集まってくる。Fラン大学卒でも、聞いたことのない会社の内定しか取れなくても、同期に年収で大差をつけられても、「のび太はしずかちゃんと結婚できたじゃん。心が優しかったから」で心の安定を得られるからだ。
ちなみに「優しかったから」の根拠としてよく引用されるのが、てんコミ25巻「のび太の結婚前夜」(「小学六年生」1981年8月号掲載)でしずかのパパがのび太を評して言ったセリフだ。「あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね。」—これは2013年放映のTVドラマ『最高の離婚』第8話でも、短編映画版のセリフから引用された。
これをもって、のび太は神輿どころか、負け組の星になった。なにせ、文科省推薦(的なイメージの)国民的マンガの準主役だ。持ち上げて責められるいわれも、突っ込まれるリスクもない。
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