ドラがたり

のび太再評価」ムーブメントの要因とは?

藤子・F・不二雄先生と『ドラえもん』を誰よりも愛する編集者/ライターの稲田豊史さんによる唯一無二の『ドラがたり』前回、驚くほど「クソ野郎」であることが露呈したのび太ですが、次第にそのパーソナリティは人々の記憶から隠蔽されていくことになります。(毎週水曜日・土曜日更新)

「のび太再評価」3つの理由

 もちろん、これらの話(※第5回を参照)のいくつかは、結末でのび太にしっぺ返しが下ったり、のび太が反省して改心したりする。しかし、それは当該エピソード内だけでのこと。翌月の連載誌では、あいも変わらずのび太が倫理に反した行動を取る。のび太は骨の髄まで「心身ともに残念な奴」なのだ。

 一部の「感動作」と呼ばれる短編や大長編ドラえもんを引き合いに出し、「のび太は成長している」「のび太の成長こそが『ドラえもん』のテーマだ」と主張する向きは少なくない。しかし、果たして本当にそうだろうか? 感動作も大長編もあくまでスペシャル回であり、それをもってのび太の人格を決定するのは、いささか無理があるのではないか。後から反省した、成長したからと言って、文通を盗み見したり、人の心を書き換えようとするような人間性に、弁護や擁護の余地はない。

 『ドラえもん』は、未来の道具に帯びるセンス・オブ・ワンダーを楽しむSF(藤子・F・不二雄風に言えば、す【S】こし・ふ【F】しぎな)物語であり、ヒューマンドラマや成長物語ではない。ヒューマンドラマや成長物語といった品行方正イメージは、第1章でも述べたように、1980年代初頭に確立されたものにすぎないのだ。その1980年には「のび太が成長する系ストーリー」の原点とも言える大長編1作目『ドラえもん のび太の恐竜』が公開されている。

 Fは、『のび太の恐竜』以降も、変わることなく人格的にダメなのび太を描き続けた。その点からも、やはりのび太のデフォルト性格設定は「心身ともに残念な奴」である。感動作や大長編で描かれるのび太は、作者としても「よそ行きののび太」であり、盆と正月に親戚の家でだけ「良い子」を演じる小学生と同じなのだ。

 ところが、Fが逝去した1996年前後を皮切りに、かつて『ドラえもん』を読んでいた大人たちの間に、「のび太再評価」の気運が生まれ始める。前述の「のび太は成長している」ことをひとつの足がかりに、平和主義でノンビリ屋ののび太というキャラクターを、哀れみではなく好意的に捉えようとするものだ。

 「のび太再評価」ムーブメントを具体的に後押しした要因は、1990年代中盤から後半にかけて大きく3つ存在した。

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稲田豊史

世代や国境を超えて読み継がれる『ドラえもん』を、いま私たちは、どのように読み返すことができるのでしょうか? 全世界の「のび太系男子」に贈る人生の教訓から、ひみつ道具に託されたSF(すこし・ふしぎ)なメッセージ分析まで。 藤子・F・不...もっと読む

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wol564b =コラム= 2年以上前 replyretweetfavorite

pek5845 -コラム- 2年以上前 replyretweetfavorite

tky564bdx 『コラム』 2年以上前 replyretweetfavorite