ドラマ『カルテット』で流されたGReeeeN
坂元裕二脚本のドラマ『カルテット』を欠かさず観たが、第6話で、松たか子演じる早乙女真紀と宮藤官九郎演じる夫役・巻幹生の、それぞれの吐露が折り重なるシーンが印象に残った。(ストーリーの詳細は端折るが)夫はバイオリンを弾いている妻が好きだったのに、妻はいわゆる「普通の夫婦」の幸せを願い、夫婦間にズレが生じ始めるのだが、その「普通の幸せ」シーンで流れていたのがGReeeeNの楽曲だった。それは少なからず揶揄を含む使い方であり、脚本家のみならず制作陣の総意としてGReeeeNファンを切り捨てる行為とも思えた。そもそもああいうのが好きな人は観てくれてないっしょ、との判断だったとしたら勇ましい。
思えば、同じ坂元裕二脚本で2013年に放送された『最高の離婚』では、瑛太演じる濱崎光生が「ファンキー・モンキー・ベイビーズ、震え上がるほどかっこいいネーミングですね」や「そんなんじゃ、ファンキーでモンキーなファミリーズになれないよ!」と茶化すシーンがあった。このところ坂元裕二脚本のドラマは、一部の視聴者を虜にする一方で、突出した視聴率を獲得することもないのだが、その一因は、GReeeeNやファンモン的なド直球な感情を意識的に排除しているからではないか。『カルテット』では満島ひかり演じる世吹すずめが、20年以上会っていない父親の死に目に立ち会うかどうか迷った挙句、立ち会わないとの判断を下す場面がある。普通会うだろ、と思われる場面で、じっくりと考え込ませて違う道を用意する、それはとても「反GReeeeN的行動」だった。彼らの世界観では、親の死に目に立ち会わないなどあり得ないからだ。
怒るチャンネルが無い創作って信じられない
世のクリエイターというかインフルエンサーと呼ばれるような人たちの中には「やわらかなハッピーを届ける」とかそういうことを言い張る人がいて、ひとまず嘘くさいと思ってしまうのだが、何かを表現するためには他者から「無理あるだろ」と指摘されかねない強引さも必要なのだろうから咎めることなどできない。喜怒哀楽という4つの基礎感情があり、その配分はその日ごとや相手によって変動するものだと思っているが、このうちの「怒」がいつだってゼロポイントな表現者を見ると、無理あるだろ、と思う。
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