第5章 UNIX
1988
1988年にタイムスリップした俺の前に、ティラノサウルスが立っていた。
「どわぁ────っ!?」
思わず、人生最大の声で驚いてしまった。
巨大な口と牙、赤褐色のボディに鋭いツメ、太い脚、分厚い背びれ……体高10メートルほどのティラノサウルスが、目の前にいる。
白目の多いティラノサウルスの眼球が、ギロリと動いた。
「なな……なんだこれ!?」
タイムスリップの年代をジュラ紀か白亜紀あたりに間違えたかと焦った。
しかしティラノサウルスの周りに大勢、カメラを持った人が集まっている。ティラノサウルスの腹部には「MSX-X 誕生」の大きな文字がプリントされていた。
「これまさか、広告!?」
そこは新宿東口の広場だった。
ティラノサウルスの足下に、ステージが組まれている。
ステージの向こうから、聞き慣れた声がした。
「優作!! 優作やないか!?」
顔をほころばせたひとりの男が、駆け寄ってきた。
西島だ。時間軸上では3年ぶりの再会だ。
しかし、西島のルックスはまた変化していた。
いっそう太って、アゴの下にぜい肉がだぶついている。趣味の悪い派手なレッドのダブルスーツ姿。腹回りの生地が、ぱつぱつだ。
指には金の指輪がギラギラ光っている。眼鏡は色つき。長髪を外ハネにスタイリングして、金色のメッシュが入っている。
ひどいセンスの身なりだ。
過去のドキュメンタリーなどで見た、バブル時代のうさんくさい〝ヤンエグ〟ビジネスマンのファッションだ。
西島は、走ってくる足取りも重たげだった。精悍で爽やかで、色気もある、キラキラの若者だった面影は、顔立ちに少し残っている程度だった。
「に、西島さん……」
西島は俺の肩をぐっと抱いた。指が太って、ぶよぶよしている。
「久しぶりやなぁ! お前また3年ぐらい、どこに行ってたんや!」
「ああ、いや、またちょっと急用で」
「まあええ、これを見いよ! どえらいもんやろ!」
と言ってティラノサウルスを指した。目玉がギョロギョロと動いている。アゴもエサを噛むように、上下していた。
本物サイズのロボットだ。
「MSX-Xの宣伝キャンペーンで、こさえたんや!」
「キャ、キャンペーン?」
「そうや! 世界一を獲るコンピューターのイメージには、最強の肉食恐竜が、ぴったりやろ!」
MSX-Xは1988年にリリースされた、8・16ビットマシンのコンピューターだ。マクロソフトとアーキテクトが共同で開発・提唱した、日本発コンピューターの新しい規格として知られる。
開発・販売の全責任者が、西島だった。
MSX-Xの投下は、彼の名とアーキテクトをコンピューター愛好家に、さらに広く知らしめるプロジェクトになる。意気込みをかけて、新宿東口でリリースイベントを開催しているというのだ。
それにしても、原寸大の恐竜ロボットとは派手すぎる。発想がビジネスマンというより、興行師だ。
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