「天皇の行為を代行する摂政」も不可
忙しすぎる行為についてどう対処したらよいのでしょうか。陛下は、次のように述べておられます。
(6)天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
このように重病などによりその機能を果たし得なくなった場合の摂政制度に言及されながら、「しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務め(役割)を果たせぬまま、生涯の終わりに至る」ことになると、婉曲な表現ですが(実は明確に)否定しておられます。
念のため、「摂政」とは、政を摂る(大政を摂行する)ことです。古くは、推古女帝(592年、39歳で践祚)の御代に甥の皇太子聖徳太子(19歳)が、また斉明女帝(655年、62歳で重祚)の御代に息男の皇太子中大兄皇子(30歳)が、それぞれ女帝を補佐しておられます。ついで平安時代に入りますと、清和幼帝(858年、9歳で践祚)の御代に外祖父の太政大臣藤原良房(55歳)が、また朱雀幼帝(930年、8歳で践祚)の御代に外戚(母方の弟)の藤原忠平(50歳)が、それぞれ幼帝の大政を代行しています。以後それが慣例となり、中世から近世の終りまで続いてきたのです。
しかし、明治(旧)と戦後(新)の「皇室典範」に定められた「摂政」は、従来のそれと著しく異なります。旧の第一九条と新の第一六条の①をみますと、天皇が成年の満18歳に達せざるとき「摂政を置く」というケースは、古来の幼帝の代行に近いのですが、むしろ重要なのは次のような②のケースです。
(旧)「天皇久きに亙(わた)る故障に由り、大政(大権の執政)を親(みずか)らすること能はざるときは、皇族会議及び枢密顧問の議を経て、摂政を置く。」
(新)「天皇が、精神若しくは身体の重患、又は重大な事政により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により摂政を置く。」
これによれば、成年以後の天皇が長期的な故障(心身の重患)や突発的な事故により、天皇として必須の機能(役割)を行使できないような場合、所定の手続きを経て摂政を設置できることになっています。
とはいえ、これを実際に適用するとなれば、その決断が極めて難しいのです。それを具体的に示す先例が、今上陛下の祖父にあたる大正天皇の場合にほかなりません。まことに辛い話ですが、近年(平成27年)ほぼ全面公開されました宮内庁編『大正天皇実録』と、それ以前から『原敬日記』などを基に研究してこられた古川隆久氏著『大正天皇』(平成十九年、吉川弘文館)によって、経緯を簡単に説明いたします。
大正天皇の摂政だった昭和天皇
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