街に暮らすということ
このように自分自身が裸になっていき、外部と直接につながるという感覚は、ファッションだけでなく、実は住まいのありかたも変えつつあります。
わたしは先に、冷蔵庫を小さくして「街の食料品店を冷蔵庫としてつかう」という話を書きました。ミニマリスト佐々木典士さんは、まったく同じ考えかたで、こう話してくれました。
「トイレットペーパーやティッシュペーパーのような日用品の買いだめはしないんです。ストックがあると場所をとるし、どれだけの量を置いてるのか把握できなくなってしまうのが嫌なんですよね。だから、シンプルになくなったら買いに行く。お店をストックのある倉庫だと考えるということです」
都市生活の高度化によって、わたしたちは「街」を自分の「家」の延長線としてとらえることができるようになってきています。
不動産コンサルタントの長嶋修さんは、住まいのこれからのありかたについて、こう話されています。
「家を選ぶというと、多くの人はマンションか一戸建てか、購入するか賃貸かという選択肢で考えがちです。でもいちばん大切なのはそういう選択肢ではなく、『どの街に住むのか』ということなんですよ。街を主体にして住む場所を決めることが大事なんです」
わたしたちは家に暮らすのではない。「街に暮らす」「土地に暮らす」ということなのです。
「街に暮らす」ということを考えると、テレビドラマや映画にもなった『深夜食堂』(安倍夜郎、小学館)という素敵な漫画を思い起こします。新宿の街のはずれ、路地にひっそりとある「めしや」と書かれた小さな食堂。午前0時から朝の7時ぐらいまで開いてるお店。メニューもあるけれど、おやじはこう言います。
「食べたいもん言ってくれりゃ、できるもんならつくるよ。そんな店なんだ」
このお店には風俗嬢からサラリーマン、隠居したお年寄りまで、いろんな人が集まってくる。常連の彼女はお店に顔を出すと「ただいま」とあいさつし、おやじは「お帰り」とかえす。
料理も美味しいけれど、それ以上に、そこでおやじやお客さんたちと一緒にいることが気持ちいいのでしょう。かならずしもみんなで喋るわけではなく、ただ黙って座って豚汁や焼き魚、コロッケを口に運んでいるだけで、自宅にいるような居心地の良さ、人と一緒にいることの嬉しさをかみしめることができる。
こういう気持ちのいい雰囲気が望まれているのは、最近の大衆酒場人気にもつながっているのかもしれません。やたらと接客が低姿勢な大手チェーンの居酒屋よりも、キップのいいオバチャンがやってる赤羽や立石、横浜・野毛などの下町の大衆酒場のほうが居心地が良いのです。
わたしも、記憶の中にある一軒の居酒屋を思い出します。