戦争の芽
それから1ヶ月ほど、再び俺は西島たちと過ごした。
西島はアーキテクトの社長兼マクロソフトの副社長として、多忙な日々を、精力的に過ごしている。振り回される成田と古畑は大変そうだったが、破天荒な西島にふたりはよく付いていった。西島の成功は、成田と古畑のバックアップがあってこそだと思う。
1985年の当時。家庭用マイコンはスペックを上げ、じわじわ一般にユーザー層を拡大していた。少し前までは企業や大学の研究室ぐらいにしか配備されていなかったパソコンが、家電として定番の地位を得るだろう兆しが、世にあらわれ始めていた。
本格的なコンピューター革命の波がやって来ている。そんななか西島は、間違いなくエレクトロニクスビジネスのキーマンのひとりだった。
若く、野心的で、ビンセント・ゲイツを巻きこむ豪腕経営者。加えてモデル級の二枚目。カリスマ社長として雑誌や新聞、テレビなどメディア露出が増えていた。
「俺の言う通りに世界は動いていくで!!」
日本の古いビジネス観にとらわれない破天荒な言動に、パソコン少年たちは心酔した。
そのうちのひとりが、堀井だった。
堀井は西島の書生になった理由を、こう語った。
「僕は将来、起業家になりたいんです。会社組織に入らず、イチから仕事を起ち上げて、大金持ちになりたい。拝金主義って言われてもいいんです。くだらない権力にとらわれて大事な人を傷つけるような大人を、ぶっ潰したい」
語り口調は明るいが、暗い怒りと憎しみがこもっているのを感じた。
父親の門田哲郎は、ヤマトグループで権勢をふるう野望を選び、母と交わした愛を捨て去った。なのに金でこっそり母親との関係を、つなぎ止めている。その金に頼らざるをえない、母子家庭の子どもの我が身の立場の弱さにも、イラだっていた。13歳の堀井の心に渦巻く、いろんな感情は、すべて憎しみとなり、門田にぶつけられていた。
起業家の成功のノウハウを学びとる相手に、西島を選んだ堀井の目もやはり、優れていたと思う。しかし動機が憎しみであるという点には、同情を感じないわけではない。
いまは真っ直ぐな目の、素直な少年が、やがて20年後に願いを叶えようと、ヤマトグループに戦争を仕掛ける。
その手駒になったのが俺で、ビジネスを学んでいる“書生”時代に居合わせたのも俺。切ろうとしても切れない、堀井との因縁の深さを感じた。
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