生やしておきたい理由がある?
ねじり鎌を持つ手が止まる。
いつもここで悩むのだ。お隣のN村さん、反対隣のO野さんの畑との、境界線である。
地面に張られた、貸し農園の区画を分けるロープ。それを境に、隣の畑が草ぼうぼうだ。こちらは全部抜いたから土色だが、あちらは草だらけで緑色。
どうする私? どうすればいい?
ロープの右がN村さんの畑です。すでに領空侵犯されています。
「ついでに抜いてあげればいいじゃない」と夫が笑う。
「いやいや、二人のことだからさ、草を抜かない自然農法でも始めたのかもしれないじゃない」
N村さんもO野さんもベテラン菜園家だ。週末しか畑に出ない我々と違い、ほぼ毎日通勤している。
「にもかかわらず草を放っておくってことはだよ、きっと生やしておきたい理由があるんだよ。肥料になるとか、根が張って土が耕されるとか」
「そんな効果あるの?」
「わかんないけど。まねしてみる?」
夫は首を振って、「雑草は全部抜いてね」と言った。畑を美しくしておかないと、気がすまないたちだ。
私は改めて隣の畑をながめた。
まっすぐな畝。等間隔に植えられた野菜。自然農法家に転向したとは思えないな。
「しかたない、代わりに抜いてあげよう。きっと腰でも痛いんだろう」
このまま隣の草に手をつけなかったら、かえって目立ってしまう。二人も気づいて、こう思うぞ。
「ついでに抜いてくれればいいのに。金田さんって、意外とケチだね」
ケチの評価だけは耐えられない。だいいち、この草だって、そのうちタネを飛ばしてうちの畑に攻め込んでくるのだ。よし、抜こう。
草は、わずかなすき間にも生えます。
写真はシソの芽なので雑草とは言えませんが、タネが落ちてそこらじゅうに生えるシソは、草と同じ扱いです。
どこまで抜く?
カタバミ、メヒシバ、コニシキソウ……。ロープを越えてN村農園の草を抜き始めたが、再び手が止まった。
いったいどこまでやればいいのだ?
脳裏に、子ども時代のつらい記憶がよみがえる。
小学生のころ、私はこづかい稼ぎに、家の前の道を掃くのが日課だった。「ついでにお隣の前も掃くのよ」と母に命じられ、我が家の前をすませると、隣のカキヌマさんの家の前も掃いた。
ところが、お隣の家の前を掃き終えたとき、その隣のサトウさんの家はどうするべきかという問題が生じたのである。
「カキヌマさんちの前は掃いたのに、うちの前はやってくれないの?」とサトウさんに恨まれでもしたら、「意外とケチね」じゃすまないぞ。ご近所紛争の火種になりかねない。
私はしぶしぶサトウさんの家の前も掃いた。幸いその先は路地だ。回れ右をして家の前まで引き返したのだが、そこで私は泣きたくなった。反対隣のイタバシさんの家はどうするんだ!?
レレレのおじさんじゃあるまいし、結局私は、こづかい50円のために、毎日4軒の家の前を掃除していたのである。
「いやいやいや。どう考えても、N村農園すべての草を抜くことはないよ」
私は、「草取り代行はロープの向こう10㎝まで」と決めた。それもタダではない。報酬として、草の根っこについた隣の上等な土を頂戴することにしたのだ。
雨の後などは、怪しげなきのこが生えることもあります。もちろん食べません。
カーペットを敷きたいだけ
草といえば、こんな悲劇も起きた。