フォークソングは、とつぜん、現れた。
これが1970年に中学に入った私の印象である。
あくまで個人的な風景でしかない。とはいえ特段に特殊な事情でもないとおもう。たまたまそういうタイミングだったということだ。
中学に入ると、学校でことあるごとに(何かのイベントごとに)、先輩たちがギターを奏でてフォークソングを歌い、途中から一緒に歌おうと誘ってくれた。
「風」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」「友よ」「若者たち」「遠い世界に」「戦争は知らない」「今日の日はさよなら」
そういう歌々である。
ほぼ初めて聞くものばかりだった。それをレコードでもなく、テレビでもなく、先輩たちのナマの声で聞いたのである。そして聞いたらすぐ、自分たちでも歌うように誘導してくれた。
フォークソング世界がセットで用意されていて、いきなりすべて提供してもらった感じだった。何だかとても嬉しく、高揚した。 突然、現れたというのは、そういうことである。
それまでももちろんフォークソングは歌われていたのだろう。ぼんやりした小学生の気付かない場所で流れていたはずだ。
ただ、フォーク歌手はあまりテレビに出演せず、大晦日の歌合戦でも見かけなかった。テレビと、友だちが口ずさむ歌でしか、新しい曲を知りようがなかった小学生としては、聞く機会がなかったのだ。おそらくラジオを聞いていれば(とくに深夜放送を聞いていれば)耳にする機会はあったのだろうけれど、家族用のラジオ一台しかない家では、積極的にラジオを聴けなかった。(フォークソングに出会ったのち家族用のラジオを、勝手に自分の部屋に持ち込んで聞くようになった)。
このへんは、個人差があるとおもう。兄や姉がいる同級生は、もっと音楽的に早熟であり、私はけっこう晩熟のほうだったとおもう。そのぶんピュアで、衝撃的な出会いだった。
中学生になったとき、誰でも少しは大人になった気分になる。
そこにフォークソングがやさしく現れた。大人の世界への案内に見えた。
厳密には大人ではなく、その大人社会への抗議を露わにしている若者社会への招待だったのだけれど、小学校卒業したてでは、その違いはわからない。そのころ、1970年には、まだ大人が関わっていない〝若者たちのフォークソングエリア〟が存在していたのだ。上は大学生から、下はこのような中学生まで、その世代が形成していた不思議なゾーンが存在していた。日本全国いたるところにあったとおもう。中学に入ったとたんに、きみたちも仲間だと先輩たちに迎え入れられたようで、心地よかった。
1970年当時、いまも覚えているこういう歌は60年代末に発表されたものだった。
私が覚えているこの歌を歌っていた人とレコード発売年はこうである。
「風」はしだのりひことシューベルツ1969年
「遠い世界に」五つの赤い風船1969年
「悲しくてやりきれない」ザ・フォーク・クルセダーズ1968年
「青年は荒野をめざす」ザ・フォーク・クルセダーズ1968年
「友よ」岡林信康1968年
「戦争は知らない」ザ・フォーク・クルセダーズ1968年
「今日の日はさようなら」森山良子1967年
「若者たち」ザ・ブロードサイド・フォー1966年
この稿もまたどこまでも「1070年春に京都の中学に入った私の個人的な記憶」に基づいて書いている。
あらためて歌い手を書き並べると、そうだったのか、と感心してしまう。口づたえで覚えたから、もともと誰の歌だったのかをまったく気にしていなかった。
「今日の日はさようなら」が森山良子と言われると、ああ、と意表を突かれたようにおもいだす。
「青年は荒野をめざす」がクルセダーズだと聞くと、そうだったなと軽く頷く。ザ・フォーク・クルセダーズは〝帰ってきたヨッパライ〟を歌ったから小学生のときはお笑い方面の人たちだとおもっていたのだが、中学になってそうではなかったと知った。
「友よ」が岡林信康の曲だということについては、いまさらながら、そうだった、とあらためて膝を打って、確認したおもいになる。
岡林信康という存在にまったく気付かなかった。岡林までの距離に世代差が出る。
のち、この時代のフォークソングは、学生運動とともに語られることが多い。
しかしそれは、限定された世代の感覚だとおもう。すべての人たちが、社会に対する反抗心とともにこれらの歌を聞き、歌っていたわけではない。
1970年の中学一年生は、もっと自分に引き付けて聞いていた。
叙情性に強く惹かれていた。
つまり、ロマンチックだから聞いていた。私にとってフォークソングはどこまでもロマンチックな歌だったのだ。
どの歌にも、歌詞とメロディラインに何かしらの「切なさ」が感じられ、そこに強く惹かれていた。十代の恋心とつながっていたようにおもう。恋する不安定な少年の心情と、フォークソングは底の部分でしっかり連携していた。
13歳の私がもっとも好きだったのは、はしだのりひこの「風」である。
中学一年の終わりごろ、一学年上の人たちも含めて、二十人くらいで志賀高原へスキー旅行に行った。夜に食堂に集まって先輩たちがギターを弾き、みんなでフォークソングを歌った。先輩たちは、歌詞を模造紙に書いて、みなも歌えるように広げて見せてくれていた。たしか、好きだった女子もそこに一緒にいた。(そのスキー旅行で強く好きになったような憶えがある)。
そこで歌った「風」が強く心に残っている。
日常から離れた雪の高原、窓の外には白樺が見えている。好きな女の子がいて、風景がロマンチックで、そこで切ないメロディの歌をみんなで歌う。
私にとってのフォークソングは、そういうものである。雪のスキーロッジや、夏のキャンプファイアーで、男女とりまぜた仲間たちと歌うものでもある。みんなと一緒に歌い、そこはかとなく切ない。みんなといても一人は一人だ、どこかでそう感じさせる歌。それが私が個人的にフォークソングに対して抱いている原風景(基本的なイメージ)である。みんな、一人なんだ、という気分に強く惹かれていたとおもう。
はしだのりひこ(とシューベルツ)の「風」はべつだん恋心を歌った歌ではない。
振り返ると風が吹いている、という歌である(そういう言い方をしてしまうと、あまりに身も蓋もないのだが)。人生につまずいたり、夢に破れたりして、振り返っている。いちおう二番の歌詞には、恋した切なさに耐えきれず、というフレーズがあるが、その一部分だけであり、べつだん恋の歌とは言えない。それでも、プラタナスの枯葉が舞うシーンをひたすらロマンチックに私は感じていた。プラタナスの枯葉と、雪山の白樺の区別があまりついていなかったからでもあるのだろう。残念ながら、ほんとうに区別がついてなかった。
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