第4章 完璧な時間
1985
1985年にタイムスリップした俺は、どこかの空港にいた。
港内の表示板は、英語の表記ばかりだった。
建物の広さと、利用客の顔ぶれを見ると、外国の空港らしい。
「どこだ、ここは?」
案内板のひとつを読んで、現在地がわかった。
「シアトル・タコマ国際空港……!?」
出国ゲートの向こうから、アジア人男性が出てきた。巾着袋ひとつの軽装だ。それでなくても空港内で目立つアジア人が、さらに目立っていた。
その男と目が合った。笑顔が、いっぱいに弾けた。
「優作!! 優作やないか!?」
「西島さん!?」
西島は駆け寄ってきて、俺の肩を強く抱いた。
「久しぶりやなぁ! お前シアトルにおったんか! 7年ぐらい前に、いきなりおらんなってしもうて、事故でも遭うたんかと思ったで!」
「すみません、ちょっと急な事情で……」
西島にしたら7年ぶりだろうけど、俺からしたら別れて数日しか経ってない。嬉しさに温度差がある。
少し驚いたのは、西島の容姿の変化だ。
細身の精悍な美青年だったのが、頬がふっくらとしている。視力が落ちたのか、大きなティアドロップ型の眼鏡をかけている。ぴったりしたスラックスを穿いているが、やや腹回りが窮屈そうだ。7年間、たっぷり贅沢な生活を続けてきたのだろう。
西島はキラキラの瞳を輝かせて言った。その目は以前と変わりなかった。
「変わらんなぁ、お前! 時間が止まってるみたいやな!」
「いやいや、少しは老けましたよ」
「いま何やってるん? 今日はヒマなん?」
「ヒマと言えばヒマっすけど」
話しながら、頭のなかでタイムスリップのメカニズムを考えた。
まさかいきなりアメリカに飛ぶとは思わなかった。タイムスリップする年代は正確だけど、場所はあまり重要なポイントではないらしい。
タイムスリップのシステムは、目的である“個人”に、最優先で会えるよう動くのだろうと考えた。
西島は喜んで、俺の肩をバンバン叩いた。
「ほんならついて来いや! ビンセントに久しぶりに会わせちゃる!」
「マクロソフトに行くんですか?」
「おお、詳しいことはよう知らんけどな。『IBBMが来るから用意しろ!』って、ビンセントの号令で経営陣がみんな招集かけられてるんや」
マクロソフトの本社は、おそろしく立派なビルになっていた。グローバル企業として急成長中の勢いが伝わる。まさにITの巨人の塔だった。
最上階の経営会議室に、ビンセントが待っていた。
「優作!! 久しぶりじゃないか。まだニックの秘書をやってるのか?」
と気さくに挨拶してきた。ビンセントの方は髪をきれいにカットして、シングルのスーツをパリッと着こなしている。世界最高の資産家のポジションを手にしつつある、一流経営者の風格がにじみ始めていた。でも指先にはケチャップがこびりついている。変わっていない部分もあった。
「まあ、引き続きやらせてもらってます」
俺はたどたどしい英語で答えた。
会議室ではさっきまで、他の取締役員たちと話し合っていたのだろう。空になったコーヒーカップがいくつも並んでいる。ビンセントが座っていたと思われる席には、大量のハンバーガーの空き箱と、コーラの紙コップが転がっていた。
西島は友だちの部屋に来たみたいに、奥のソファにどっかりと座った。
「さーて。What’s your case today? ビンセント、どうなったんや?」
ビンセントは西島の前にチェアを持って来て、向かいに座った。
「IBBMの担当者が、今日の午前中に来たんだ。BASICの購入の件でね」
「前から言うてた話やな。連中もアップル・ガレージに負けたないから、自社パソコンのプログラム言語をつくるのに必死やろ。俺が言うとおりにしたんか?」
「ああ。ニックのプランで行ったよ。日本の大木電機のBASICを応用させてもらった。それでIBBM版のBASICをつくって、先方に出した。連中、『これはいい! すぐ欲しい!』って大喜びしていたよ」
「よっしゃ。商談成立や」
後にわかることだが、このとき大木電機の技術を基にしたBASICが、16ビット用BASICの決定版となるマクロソフト「MS-BASIC」に発展していく。
西島の提案で、日本で生まれたBASICが世界のBASICの業界標準になったのだ。
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