人口呼吸器をつけることを決心した私を待っていたトレーニングは、まず着脱可能な人工呼吸器を使う事に慣れることだった。
病院が用意した機械は、ドライヤーのようなけたたましい音をさせていて、それを前にして緊張するなというほうが無理な話だった。しかも、サポートするためのドクターも若くて、人工呼吸器を使うことは、私と同じように初めてのようで、鼻と口を覆うマスクを持つ手から緊張感が伝わってくる。顔は鬼のようだ。
私は何が起こるのか全く分からず、思いっきりドキドキしていた。
その後、いろんなことを経験して百戦錬磨となった今の私は、当時の様子を思い出すとニヤッとしてしまう。ドクターも私も、かなり真剣な顔をしていたと思う。そこまで大変な作業ではないのに、崖を飛び降りる、そんな気持ちで臨んでいた。 呼吸器をいざ装着してみると、ちゃんと空気を肺に送ってくれているから苦しくないはずなのに、なぜか空気におぼれている感じがして苦しかった。その苦しさは、初回だけでなく、2回目、3回目と続いた。
その様子を見た呼吸器内科のドクターチームは、私にはもっと小型のものが良いと判断し、在宅用の人口呼吸器に変わった。病院の人口呼吸器と比べると、空気を送る能力では劣るものの、音はとても小さかったので、恐怖心はすぐに拭い去ることができた。それで、私は在宅用を使うことになった。医学的に呼吸器が正常に機能している「苦しく」はないはずだが、私の場合、恐怖心を拭えた後でも「苦しい」という固定観念にも似た感覚は、決して拭い去ることができず、今も続いている。この感覚は、なかなか周囲に理解されない。たくさんの人がサポートしてくれていても、ALSとの闘いは孤独との闘いだった。たくさんの患者を見ている医療関係者でも、私の感覚は理解してくれなかった。私にしか、私の感覚はわからなかった。