ヘファイスティオンの太もも!?
フィリッポス2世が男色の痴情のもつれで横死したため、アレクサンドロスは20歳そこそこで玉座を継ぐことになります。
世間の下馬評では、偉大だった父親には到底及ばないだろうと言われていたのですが、どうしてどうして、あっという間に全ギリシャを席巻して覇権を再掌握すると、父の、いや全ギリシャ人にとっての念願だった、ペルシア遠征に乗り出します。
この時、彼の周囲につき従っていたのが、ヘタイロイ(王の友)と呼ばれる、ほぼ同年代の若い青年将校たちでした。彼らはフィリッポス2世が息子のために、当代第一級の哲学者アリストテレスを招いて作った学校「ミエザ」で、切磋琢磨しあった学友でもあります。
その中には後にエジプトにプトレマイオス王朝を開くことになるプトレマイオスはじめ、世界史に綺羅星のごとく名を連ねる名将たちの若き姿がありました。彼らヘタイロイは呼び名通り、大王の家臣というより友人で、なかでも最も結びつきが強かったと言われるのが、ヘファイスティオンでした。
先生のアリストテレスは二人の交友を見て、
「二つの体に一つの魂」
と言っているほどです。
ヘファイスティオンの顔立ちはアレクサンドロスに似ていましたが、背は彼の方が高く、雄々しさという点では主君より勝っていました。
イッソスの戦いで、アレクサンドロスがペルシア王ダレイオスの家族をとらえた際のエピソードが残っています。
この時、捕虜となった家族のなかにはダレイオスの母親も含まれていて、彼女は大王と対面することになります。しかし、母親は大王の隣にいたヘファイスティオンを王と勘違いして、彼の方にひざまずいてしまいました。
従者に間違いを指摘された母親は慌ててアレクサンドロスに謝罪するのですが、大王は笑ってこう言いました。
「気にしないで。彼もまたアレクサンドロスなのですから」
姿かたちだけでなく、才能も、アレクサンドロスに似ていて、エジプト侵攻の際には海軍を任され、ペルシアとの天下分け目の合戦ともいえるガウガメラの戦いにおいては、騎兵将校として大活躍をしました。
そんな彼と自分の関係を、アレクサンドロスはイリアスにおけるアキレスとパトロクロスに比していたようです。もちろん、アキレスがアレクサンドロス、パトロクロスがヘファイスティオンでした。
そのため、トロイを立ち寄った際には、御神酒を英雄たちの血で濡れた砂浜に注いだ後、自身はアキレスの墓に、ヘファイスティオンはパトロクロスの墓に、花冠を捧げました。
ちなみに、アキレスとパトロクロスがベッドもともにする恋人同士だったというのは、当時のギリシャ世界においては常識的なことでした。そのため、アレクサンドロスが自身とヘファイスティオンを、この古代の二人の英雄に擬したのは、彼ら自身の関係もセクシャルなものであるのを公然と表明したことと同意です。
他にも、二人の交際に関しては、ディオゲネスという哲学者がこんな手紙を大王に送っています。
「あなたが本当によきもの、美しいものを極めたいなら、くだらないことなど打ち捨てて、わたしのところにやってきなさい。ヘファイスティオンの太ももに夢中になっている場合ではないですよ」
男色家は、太ももを使ってセックスすることもよくあったので、ディオゲネスはそれを揶揄したのですね。
ここでちょっと気になるのは、アレクサンドロスとヘファイスティオンのベッド上の役割分担です。
実は、プラトンの饗宴でも指摘されている通り、アキレスとパトロクロスの関係は、本当はアキレスの方が年下で、交情の際は彼の方が受け手でした。
前回書いた、フィリッポス2世とオリュンピアスが息子が女々しくなってしまうのではと懸念したエピソードとあわせて考えると、アレクサンドロスとヘファイスティオンの関係も、大王の方が実は受け手だったのかもしれません。
だとしたら、哲学者ディオゲネスも手紙には「ヘファイスティオンの太もも」ではなく、「アレクサンドロスの太もも」と書くべきだったのかもしれませんね。
ペルシアに勝利した大王の前にあらわれた美少年とは!?
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