一般的に、子どもを作って産むことは、「親孝行」だの「社会貢献」だの「愛の証」だのと、立派で素敵なことみたいに言われがちだ。
「2人の愛の結晶を授かった」だの「親に孫の顔を見せてあげるのが一番の親孝行だよね」だの「家系の血を絶やすわけにはいかないから」だの「日本の未来のためには赤ちゃんが必要」だのと、妊娠や出産を、まるで人に誇れる立派なことみたいに語る人は多い。
「子どもを産むことは、世のため人のためになる素晴らしいことなのだ」と信じていて、その考え方を疑ったことのない人は、子どもを産むということについて、自分の頭を使って考えたことがない人なのだと思う。
私にとって子どもを作って産むことは、すごく自分本位な行為であり、超個人的な「趣味」でしかない。
自分が産むことについても、他人が産むことについても、ひとえにそういう目で見ている。
遊びのバリエーションには限界がある
人が子どもが作るとき、その理由は「自分の子どもに会ってみたい」という好奇心が1割と、残りの9割は「暇つぶし」だと思う。人生は80年もあって暇だ。子どもでも育てないと暇だから、人は子どもを産む。
そして実際に、子育ては最強の暇つぶしだと思う。
遊びのバリエーションというのは限界がある。10代で順調に遊び始めて26歳くらいまで目一杯に遊び続けていくと必ず飽きる。
現に私は飽きた。飲み会もカラオケもクラブ遊びもお花見もBBQもタコパも楽しいけれど、何年か経つと、そのルーチンに飽きてくる。
旅行もたかが知れている。どこに行こうと、だいたい似たような疲労感を溜めて帰るだけだ。
昔は楽しかった遊園地やスケート場も、いつの間にか、歩いたり並んだり待ったり日差しに照らされたり寒い思いをしたりするのがダルいだけのスポットになっていく。
人生とは、死ぬ日までの暇つぶしだ。どう退屈しのぎをするか、それが生き方だ。
死ぬ日を迎える前に命を持て余したら困ってしまうから、持て余さないように楽しく生きることが必要だけれど、80年間、飽きないように生きるというのは、なかなか大変だ。
子どもを持つ、というのは、人生のリニューアルだと思う。子どもを持たない限り、手元のメニューはずっとリニューアルしない。美味しいけどもう飽きているハンバーグや、もうワクワクしなくなったパフェしか選択肢がない毎日が連綿と続く。
私は26歳を過ぎた頃から、子どものいない人生に完全に飽きていた。「もう、子どもを産んで育てるくらいしか、楽しそうなことが思いつかない」と思ったから、私は出産をすることにした。
「子供ができると自由がなくなるよ」と言われても
「子どもができると自由がなくなるよ」「やりたいことができないよ」と言う人がいるけれど、逆だ。子育ては私にとって新しい遊びだし、自由を手に入れた今だから選択できるようになった「やりたいこと」でしかない。
そもそも、この先、旦那さんと2人の夫婦生活が続いたとして、確実にデートの引き出しはなくなっていく。ずっと2人でいたら、私たちは代わり映えしない過ごし方しかできないだろうから飽きてくるだろうし、それをマンネリと呼ぶのだと思う。
でも、子どもがいたら、2人の間にトピックが増える。赤ちゃん本舗など新しい場所に買い物に行く必要や、入園式やら授業参観など参加したことのないイベントに参加する機会ができる。
そういう、子どもにまつわる全部が新しいデートスポットとなり、私たち夫婦をマンネリから救ってくれる。
さらに子どもの良いところは、その年齢によって、メニューをどんどんリニューアルしていってくれるところで、育てば育つほど、また新しいデートスポットを提供してくれる。ひとり子どもを産むごとに、20年分の楽しめるトピックが手に入る、と思う。
子どもは、親の人生にとって史上最強のテーマパークみたいなもので、エンターテインメントで、これ以上ない娯楽だ。
「子どもがいると遊べない」などと愚痴っている人は、どういうつもりで子どもを作ったのだろうかと思うし、他にやりたいことや楽しい遊びがあるのなら、子どもを作るべきではない。
子供は「言い訳」にも使えて便利
それに、これは私が結婚をした理由のひとつでもあるけれど、子どもと旦那というのは、飽きた飲み会などを断るにあたって、最強に角が立たない言い訳として使える。
私は独身遊びに飽きたから結婚をしたし、子なし時代に飽きたから出産を決めたので、そもそも遊びたいという欲求が一切ない。夜は家に帰りたいし、食事は自炊したい。二日酔いするようなお酒の飲み方をしたくないし、終電始発に振り回されたくないし(自分だけタクシーで帰るのは気が引ける)、タクシーがつかまらず寒い思いもしたくない。
だけども、独身で子どももいないと断る理由が難しい。いちいち気を使う。本当のことを言って断ると失礼にあたるから、嘘をつかなくちゃいけない。
結婚は便利だ。「結婚してるから」の一言でデートを断れる。「デートの意欲がわくほどの魅力があなたにはないから」という本音で相手を傷つけることもなく、断ることができる。
「旦那さんがうるさいから」の一言で帰れる。「終電逃すほど楽しくないから」という本音で空気を壊すこともなく、その場からドロンできる。
「子どもが小さいから」遊べない理由として、こんなに便利な口実はない。
それに、子どもがいた方が、何かと間が持つからいい。たとえば親戚の集まり。大人だけより子どもがいた方が確実に間が持つ。子ども(と犬などの動物)は、気まずさを払拭してくれる助っ人だと思う。
私が子どもを産むのは、自分の子どもに会ってみたいからで、子育てに追われたいからで、子どもと暮らしたいからで、子どもがいた方が好都合だからで、子どものいる人生の方が楽しそうだし自分に合ってそうだからで、完全に私のためだ。
「私の人生を楽しくするための協力者として、あなたが必要なんです」という理由で、私は新しい命を作る。
出産とは、他人を、こんな世の中に強制参加させることだ。自分の子どもは、自分が作らなければ産まれないですんだ相手だ。
正直なところ、私は世の中のことを「こんな世の中」と思っているし、人生のことを「欲しくなかった」と思っている。生きるって素晴らしい、生まれてこれて良かった、とは思えていない。生まれるって、災難だと思う。
世の中がこんな風である以上、産むという行為は、加害のようにも思う。
だからこそ、子供のために最高の環境を用意する
だから「産んであげる」という気持ちは微塵もなく「私のわがままに付き合わせてしまって申し訳ないけど、産まれてもらう!! でも、私はどうしてもあなたにいてほしいの! その分、最大限に良い環境は用意するから!! 私の子ども枠に、あなたを招待させてください!」という一心で産む。
高校生の時から、子育ては最強の娯楽だと思っていたし、いつかやってみたいことだった。
だけど、自分に出産の許可を出すのは、少なくとも「私から産まれる子、うらやましい」と思えるだけの準備ができた時に、と決めていた。
子どもは親を選べない。だからこそ産む時は「もし選べるなら、私はこういう親を選びたい。こういう夫婦の間に産まれたい。こういう家庭で育ちたい」という環境を用意することにこだわることを、私はずっと自分に課していた。
具体的には「お金がない」という理由で夫婦喧嘩をする家庭にはしたくなかったから、旦那さんの給料はあってもなくても暮らしていけるだけの経済力を自分につけておくことにこだわった。
そしてまた「お金がない」や「お父さんの許可が下りない」という理由で、子どもに何かを諦めさせたり耐えさせたりすることがないように、私の一存で何でもしてあげられる母親になりたかったから、独身時代に必要な分のお金を貯めておいた(父親の同意がないと子どもの力になれない母親だと、夫婦の価値観や教育方針が割れた時に無力)。
子育てのことで協力するしないだのとケンカをする親にはなりたくなかったから、無趣味で、子育てを唯一の趣味にしそうな男の人を父親に選んだ。
子供のためなら、働き方も変える
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。