実は女嫌いのアレクサンドロス大王!?
ソクラテスと、その最愛の弟子だったアルキビアデス。
二人の対話を記録したものに、プラトンの『アルキビアデス』があります。このなかでソクラテスはギリシャの覇権のみならず、アジアを渡りペルシアをも併呑したいという彼の野望を見抜いています。
そしてそのためには周囲の誘惑を断ち切り、正義のためにただただ刻苦勉励せよと励ますのですが、その想いむなしく、アルキビアデスはその才能をただいたずらに浪費するだけで、アテナイ、スパルタ、ペルシア、三カ国をふらふらと渡り歩き、何の功もなく、非業の最期を遂げました。
しかし、ソクラテスがアルキビアデスに託そうとしたギリシャ、アジアを統一する大帝国という夢、それは、アルキビアデスの死の74年後に実現します。
その夢を実現した男の名はアレクサンドロス大王。
彼はもともと、ギリシャ世界のなかでは辺境で、ほぼ蛮族扱いだったマケドニアの王でしたが、32年という短い生涯で、ギリシャからペルシアを経て、インドにまでまたがる大帝国を築きあげます。
アレクサンドロスはアルキビアデスよりも一回りスケールの大きい才能を持つばかりでなく、アテナイのセックスアイコンだった先輩に負けず劣らずの美貌を誇っていました。
プルタコスの「プルタコス英雄伝」によると、彼は色白で顔と胸にほんのり血が差し、その肌からはよい香りがして、着物にもそれが移るほどだったと書かれています。また、別の史書によれば、髪は輝く金色で、目の片方は黒、もう片方は灰色のオッドアイだったという記録も残っています。
何だか設定を重ねすぎじゃないという気もしますが、そんな証言があるのだから仕方がない。
軍事・政治両面における天才のうえ超絶イケメン。さぞかし女性にもてたと思いきや意外なことに、遠征初期にペルシア側の海軍を率いてマケドニア軍を苦しめたメムノンの妻バルシネに出会うまでは童貞だったようです。
息子がオクテなことは、父親のフィリッポス二世、母親のオリンピュアスも気に病んでいました。岩明均さんの「ヒストリエ」で有名になったエウメネスの関係者の証言によると、アレクサンドロスがまだ少年だった頃、有名なヘタイラ、カリクセイアを両親が息子の寝所に送ったことがあったそうです。
高級娼婦と訳されることもあるヘタイラですが、春をひさぐだけでなく、文学の造詣深く、歌と踊りに長じた文化人でもありました。もちろん、指で押せば蜜が滴るような、美しく豊かな肉体の持ち主ぞろい。
普通の少年なら、骨抜きになってもおかしくないところですが、アレクサンドロスはかんかんに怒って、この絶世の美女を寝室からたたき出してしまいました。
どうもアレクサンドロスは当時としては珍しく性に潔癖だったようです。
勝者が敗者を自由にするのが常識の時代に、捕虜となった敵の妻や娘に「何も恐れることはない」と優しい声をかけてやり、傭兵の妻に乱暴を働いた兵がいたと聞けば「人を破滅させるために生まれたけだもののように殺してしまえ」と激怒しています。
見事な騎士道精神と言うほかありませんが、先のエピソードには、気になる記述があります。フィリッポス二世、オリンピュアス夫婦は「息子が女々しい人間ではないかということを心配して」と書かれてあるのです。
マケドニアも古代ギリシャ文化を反映して、男色万歳!の文化でした。フィリッポスも両刀使いで、生涯を通じて七名の女性と結婚すると共に、数多くの男性と浮名を流しています。
だから、男色自体は問題ないのですが、それオンリーだったり、大人になっても受け手になることを好んだりしていたら、それは男らしくなく女々しいことと弾劾されるのです。
そして、両親の懸念は半分外れましたが、半分はあたっていたようです。アレクサンドロスは三人の妃を生涯にめとり、アレクサンドロス四世、ヘラクレスという子供をなすのですが、記録では女性に対しては淡泊で、何か濃密な感情を抱いたという形跡はありません。
一方、男との友愛に関しては情熱的!!
時に狂気さえ感じるようなエピソードもいくつも残っています。そして、アレクサンドロスと愛し合ったと思われる男性のなかで、名前が残っているのは二人。
一人は少年時代からの友人のヘファイスティオン、もう一人は宦官のバルゴスでした。
今回は、この二人とアレクサンドロスとの愛の軌跡をたどりながら、世界史が持った最初のヒーローともいうべき人物の秘密に迫っていきたいと思います。
男色の痴情のもつれで殺されたフィリッポス2世
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