コンピューターが作る“豊かな人生”
1978年に来た俺は、まず住まいを決めないといけなかった。
いつまで滞在できるかわからないとしても、手持ちの金では安ホテルに10日ほど泊まるのがギリギリになりそうだ。かといって、保証人はいないから、アパートは借りられない。
行くところがないなと困っていたら、西島が「じゃあしばらく俺のところに住むか?」と言ってくれた。願ってもない話だ。
それにしても、初対面の男を家に入れて、部屋を提供するというのは、器が大きいというか……神経が太すぎる。というか何も考えていないのだろう。
西島のマンションは、アーキテクトの会社のある南青山のすぐ近くだった。
つい最近、早稲田のアパートから引っ越したという。
行ってみて驚いた。7階建てマンションの最上階。窓の外には東京タワーが見える。3LDKの高級レジデンスだった。「ARCHITECT」の販売好調に加えて、西島家の大蔵省の潤沢なサポートの結果だろう。
「ひと部屋、好きに使うてええで。風呂とか冷蔵庫のモンとかも、勝手に使うてや」
「ありがとう。助かります」
「女が来たときは、その辺で耳栓して寝とってくれ」
「わかりました……」
俺にあてがわれた部屋は10畳ほど。テレビもベッドもある。居候には充分すぎるほどの部屋だ。本棚には『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の初期の巻が並んでいた。著者名は、秋本治ではなく改名前の山止たつひこだった。
1978年だなと、あらためて思った。
「おい優作! 熱いうちに飲め」
と言って西島は、リビングに呼んだ。
北欧製だというテーブルに、美術館に展示してあるような造形の湯飲みが置いてある。熱々の湯気がたっていた。
「俺は酒が飲めへんねん。お茶でもええやろ」
意外だった。大酒飲みっぽいけれど、下戸だという。
酒を飲まないで、常にそのテンションでいられるのはすごいと思った。
「いいですよ。贅沢な酒は、飽きましたから」
「え?」
「いや、何でもないです」
ひと口、お茶を飲んだ。
「美味い……!」
「せやろ! 深煎りした京都右京の宇治茶や。100グラム1万円ぐらいするで」
「高っ!」
「お前も日本人やったら、茶を勉強せえよ。アメリカ人の女は高いワインより、こっちを飲ませたほうが喜ぶねん」
「そうすか」
と適当に聞き流して、リビングの壁棚を見た。
肉筆画にリトグラフ、アーティスティックな写真、茶器に陶芸品など美術品がセンス良く並べられている。西島の趣味者ぶりがうかがえた。
棚の、手に取りやすい場所には日本語や英語のパソコン書、雑誌がぎっしり並んでいた。
「コンピューター、本当に好きなんですね」
「おお、大好きや。あと50年。いやいや20年せんうちに、先進国全体にパソコン革命が起きる。国内にはまだ8ビットの『TK-80』ぐらいしか家庭用パソコンはないけどな。そのうちSF小説のアンドロイドぐらいのスペックに進化するはずや。やがてパソコンが、世界のインフラの中心になるんや」
「20年か……」
「そや、上の世代のおっちゃんらには、ピンと来うへんみたいやけどな。パソコンって何なん? 何ができるん? って、よう聞かれるけどな。何なん? じゃないねん。何をするのか考える、人間の知能の選択肢を、無限に増やすツールなんや」
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