最初は皇后陛下も反対していた「譲位」
羽毛田信吾宮内庁長官の証言
天皇陛下のご意向を可能な限り正確に読み解くために、7月13日の報道内容を、同19日「NHK NEWS WEB」に掲載された全文によって確認し、それを数項目に分けて引用しながら読み解いていきたいと思います。
そのためには、7月段階で判らなかった情報が段々と明らかになってきましたので、それらも大いに活用いたします。
今上陛下のご意向は、もちろん直接お聞きできないのですが、㋑7月のNHK第一報と、㋺8月の御自身による「お言葉」と、㋩9月9日発売された『文藝春秋』10月号掲載の編集部による真相スクープ「天皇生前退位の攻防/皇后は退位に(当初)反対した」(全8ページ)とを主要な情報として、それ以前の資料(御本人や関係者の発言記録など)を傍証としながら、総合的に理解する必要があろうと思われます。
まず㋑(NHK特報)の冒頭で次のように伝えられています。
(1)天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を、宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年以内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整が進んでいます。
これは、一番大事なことを、ズバリ簡素に言い尽くしています。それだけに、これを初めて知った視聴者たちの驚きは大きかったにちがいありません。日本列島に(いや海外にまで)激震が走った、と言っても過言ではないと思われるほどです。
それでは、「天皇陛下が……『生前退位』の意向を……示されている」というのは、いつごろから、誰に対して、どのような形で伝えられてきたのでしょうか。この点については、七月段階で知りえませんでした。しかし、8月の「お言葉」放送直後から「宮内庁の関係者」であった前宮内庁長官の羽毛田信吾氏が新聞各紙のインタビューに応じられ、また9月9日からは『文藝春秋』の特集記事も読めば、おおよそ判明いたします。
羽毛田前長官は、昭和17年(1942)山口県萩市の出身です。京都大学法学部(相撲部で活躍し優勝しています)を卒えて厚生省に入り、事務次官を退いた平成13年(2001)から11年余り宮内庁の次長・長官を務められました。ついで宮内庁参与を委嘱され、翌年から「昭和館」の館長を兼ねておられます。
この方が、4年前の平成24年6月1日、宮内庁長官を退くにあたり、「(陛下が)時の経過と共にお年を召されること、また体力の面でこれまで通りのご活動がだんだん厳しくなることは避けられない。そうした時、たとえば85歳というような時(平成31年)に、いまの象徴天皇としての地位と活動というのをどう考えていくのか。これまでどおり一体不離ということで考えていくとすれば、深刻な問題が出てくるだろうと思う。……やはり天皇陛下のご長寿(高齢化)と共に、地位をどう継承していくかということを考えなければならない。」と指摘しておられます。
これは、立場上かなり遠回しな言い方になっています。しかし、昨夏に、「長官を退任する際の記者会見で、(皇室典範の)終身天皇制に関する私自身の問題意識として語った。……陛下のお悩みを代弁したつもりだった。」(日本経済新聞・8月9日朝刊)と述べておられます。
ここにいう「終身天皇制に関する……陛下のお悩み」が、実は「生前退位(高齢譲位)のご意向」であったとは、当時まったく気づきませんでしたが、今あらためて退官記事を読み直しますと、「そうだったのか」と思いあたります。
ちなみに、羽毛田氏は宮内庁在職中、大きな仕事にいくつも関わっています。その一つは、次長から長官になった平成17年(2005)、小泉内閣のもとで1年余り開かれた「皇室典範に関する有識者会議」を宮内庁として支えたことです。またその11月15日挙式された紀宮清子内親王の御結婚にも尽くしています。
もう一つは、同21年(2009)9月発足した民主党内閣に対して、「皇位継承(今後の在り方)に問題がある」から「対処して頂く必要がある」と申し入れています。また、その12月中旬、来日した習近平中国副主席から直前に今上陛下との特別会見を申し入れた事件に毅然と対処されたことです。さらにいまひとつは、同23年9月、野田佳彦首相に対して皇族数の減少を防ぐため、「皇室典範」の改正を「緊急の課題」として取りあげるよう進言された(翌春から有識者ヒアリングが実施された)ことです。
「私は譲位すべきだと思っています」
参与会議で表明されたご意向
しかも、羽毛田信吾氏が宮内庁長官になって55年目、今から6年前の平成22年(2010)、関係者にとって大変なことが起きました。その7月22日夜、皇居の吹上にある御所の応接間において開かれた「参与会議」の席が舞台です。