戦後、夢を与え続けたメイドインジャパンの象徴【銀座 ソニービル】

2020年の五輪開催を見据えて、東京の街は大きな変貌を遂げつつあります。その危機感から、今ならまだ間に合う、今しか会えない、昭和の古き良き風景を伝えるべくスタートした本連載。
第7回は、日本を代表するメーカー・ソニーのショールームであり、銀座の待ち合わせスポットでもある「ソニービル」。2017年3月末をもって営業を終了する、その意味、そして今後の展望は……?



「ソニービルの前で7時ね」。銀座ではそんな会話が長年よく聞かれる。流氷を持ってきたり、お相撲さんが募金活動をしたりと、なにかと話題になるイベントも行ってきた。ソニーアクアリウムなどは49年間開催していて「今年が最後なのね」と名残を惜しむ人もいたと言う。

昭和20年3月11日か12日。東京大空襲の翌日か翌々日。軍用機を塗装するためのコンプレッサー工場に勤労動員されていた少年は、焼け野原の東京から、ひとり徒歩で北関東の郷里に戻った。その後、馬小屋のような家で寝起きしながらタクシーやトラックの運転手、町工場などでまさに馬車馬のように働き、いつしか馬小屋はまずまずの平屋に建て替わり、嫁も子どももできた。やっと暮らしに余裕ができると元少年は白黒テレビからはじまり、カラーテレビ、Hi-Fiビデオデッキなど、時代が変わっても新製品が出るたびにAV機器を買い続けた。8ミリビデオカメラなどは集落で誰も持っていない発売最初期に買ったものだった。やっとつかんだ豊かさであった。手に入れた機器にはいつも、〈SONY〉の刻印があった。

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私事で申し訳ありません……。少年とは筆者の祖父です。祖父の影響からか我が家の全てのテレビはソニー製品であり、筆者が中学に上がる頃に買い与えられた21インチのトリニトロンは大学を卒業するまで一度も故障がなく愛用していた(壊れる前に地上波デジタル放送が始まってしまった)。とにかく絶対の信頼感、ブランド、それがソニーであった。個人的な感覚ではあるが、共感してくれる人、多いんじゃないでしょうか。

そのソニーを象徴するビルが、銀座・数寄屋橋交差点に建つソニービルである。ソニー創業者の盛田昭夫氏と建築家の芦原義信氏のタッグで手掛けられたビルで、昭和41年に竣工した。これだけ地価の高い場所にあるにもかかわらず、ここでは自社製品を売らずショールームとし、他にも雑貨ショップやレストランなども入れた。しかも敷地目いっぱいに建物を作らず、交差点側の角っこをあえて空き地とし、多くの人が訪れやすいイベントスペースにするなど、高い理想のもとにビルを作ったのだった。

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この連載について

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東京ノスタルジック百景 シーズン2 ~今見ておきたい昭和の風景

フリート横田

ライター兼編集者として、数々の街歩き取材を重ねてきたフリート横田氏。著書『東京ノスタルジック百景』からのcakes連載が好評を博し、満を持して書き下ろしの連載がスタート。2020年の大イベントを控え、急激に変化しつつある東京。まだわず...もっと読む

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