二度目の五輪を待つ 東京の余白【晴海倉庫群】

2020年の五輪開催を見据えて、東京の街は大きな変貌を遂げつつあります。その危機感から、今ならまだ間に合う、今しか会えない、昭和の古き良き風景を伝えるべくスタートした本連載。
第6回は、以前の活気を失い、静けさの中で時を刻んでいた「晴海倉庫群」。しかし東京五輪開催が正式決定してから、にわかに騒がしくなってきたようで……。


豊洲側の岸壁に建つ、奥の〈3号上屋〉と手前のカマボコ屋根の〈4号上屋〉。前者は昭和32年、後者は昭和34年に供用開始された。ちなみに「上屋」は「うわや」と読む。一時保存用の倉庫のことである。東京都による「東京港第5次改訂港湾計画」で、豊洲埠頭、朝潮埠頭とともに、晴海埠頭の貨物取扱機能の廃止が昭和63年に決まった(平成8年までに埠頭機能の移転を完了させる計画)。理由は、埠頭が移転しないと晴海通りと環状2号線の延伸に邪魔になったからである。

雑踏のなかで古びたビルが作る翳を探す都心の徘徊、それは安定剤のよう。うねった路地から路地へ迷い込んでいく下町の探検。これは興奮剤のよう。そして、晴れ渡った昼間に埋立地に吹く海風に身をさらすひとときは、一服の清涼剤。東京という街そのものが、ヘンな錠剤に頼らなくたって、ノンケミカルな精神浄化作用をくれる。

そういう意味で言うと、晴海埠頭の人の気配のなくなった倉庫群、特に雑草のなかに置き去りにされた鈴江組(現・鈴江コーポレーション)の倉庫や上屋(3号上屋、4号上屋)付近は、心の滓(おり)を一気に吹き払ってくれる誠にすがすがしい景色だ。潮風で赤錆の筋が垂れ、黄色みがかった外壁をぼんやりと眺める。かつてここに大勢の男たちが詰め、汗を飛ばしながら港湾荷役(にやく)に明け暮れていたのを想像しながら。

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晴海埠頭はそもそも、昭和4年に埋め立てられた。だが戦前はほとんど利用されず、戦中は陸軍の施設があったばかりで、木造の桟橋なども朽ち果てていた。戦後になってから本格的な整備が始まったと言っていい。

終戦してすぐに米軍に接収されたのだが、戦後復興に歩調を合わせるように東京港の取扱貨物量が増大していったことと、アメリカからの食糧援助物資を受け入れる港湾施設の整備も急がれたことから、昭和27年に桟橋建設工事がスタート。昭和32年には米軍の接収も解除となり、その2年後には、貨客船用の桟橋の増設と国際見本市の用地拡張のために、南端も埋め立てた。特に、船客待合所は前回の東京五輪の開催が決まってから、大会までに間に合うよう大急ぎで作ったという。その頃までに、クレーン6基、上屋、野積(のづみ)場、多階建倉庫も作られ、臨港鉄道も引き込まれている。

埠頭で扱うのは、セメントや水産品、小麦などであり、生コンプラントや製粉工場なども作られ、しだいに、戦後の東京港の国際貿易を支える外貿埠頭へと育っていった。そこには、港湾荷役の男たちを含め、大勢の人々が集っていた。

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東京ノスタルジック百景 シーズン2 ~今見ておきたい昭和の風景

フリート横田

ライター兼編集者として、数々の街歩き取材を重ねてきたフリート横田氏。著書『東京ノスタルジック百景』からのcakes連載が好評を博し、満を持して書き下ろしの連載がスタート。2020年の大イベントを控え、急激に変化しつつある東京。まだわず...もっと読む

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