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ふみカスが……清水富美加さんが、ああ、行ってしまわれた。
私は、悲しい。それは、彼女の後ろ姿が、晴れ晴れとした旅立ちというよりも、決死の脱獄みたいに見えるからだと思う。
旅立ちと脱獄は違う。立つ鳥は後を濁さないし、自分の行先をまっすぐ見据えている。でも、彼女のそれは、脱獄に見えるのだ。彼女の事務所を一方的に牢獄扱いする気はさらさらないが、少なくとも彼女自身の視点から見たら、「ここにいたら人肉を喰う役を拒否する自由もない。出て行かなきゃ!」みたいなふうに見えていたのではないだろうか。飛び立ったその跡を、契約期間の残る仕事でぶっちらかしたまま。
彼女の脱獄について、芸能界自体を牢獄扱いするような物言いも、ちらちら見られる。仕方ないことかもしれない。私は2010年に芸能事務所に所属し、芸能界に入って今年で7年になるが、元共演者のタレントたちが、「脱獄」みたいな辞め方をしていくのを何度も見てきた。行き先は宗教とは限らないが。
しかし、私は言いたい。
これを「芸能界の問題でしょ」って言って、社会全体の問題から目を逸らそうとする物言いにだまされてたまるか、と。
ブラック企業も同じことをしている
「金をやるから言うことを聞け」みたいなやり方は、芸能界に限ったものではないだろう。ブラック企業もモラハラ亭主も、みんなみんな同じことをしてきているではないか。強く賢くあるために、「芸能界って恐いわぁ~」視点にはとどまりたくない。もっとちゃんと広い視点で、“奴隷契約”問題をとらえてみたいと思う。
まず押さえたいのは、「エージェンシー」と「プロダクション」の違いだ。
たかが7年だが、芸能界にいて思うのは、自分が契約しているのがエージェンシーなのかプロダクションなのかすら分からないまま「社長♡ テレビのお仕事くださぁい♡」してる人が多すぎる、ってことである。
エージェンシーは「代理業者」、プロダクションは「制作業者」だ。代理業者であるエージェンシーはいわば、「俺らが営業・経理・広報・渉外・事務なんかのめんどくせぇ仕事を代理してやっから、お前、芸能に専念しな! 報酬は山分けだぜ!」という相棒である。芸能人は個人事業主として契約を結ぶ。ちなみに私は、このやりかたで働いている。
それに対し、日本の芸能界は、伝統的に、制作業者であるプロダクションが多くを占めてきた。古くは江戸時代、歌舞伎役者たちが中村座・市村座などの芝居小屋単位で芸能の道に励んできたこと、もっとさかのぼると神社単位で巫女舞をやってきたことあたりにも起源をみることができるだろう。大正時代から続く宝塚歌劇団のタカラジェンヌたちは阪急電鉄の社員扱いだし、昭和時代(って平成の子が言ってた)も東映・松竹・東宝といった映画制作所単位で役者を抱え込むシステムが組まれていた。
やがてテレビの時代が来ても、“プロダクションにお世話になる”感覚は変わらなかった。日本のテレビ女優第一号といわれる黒柳徹子さんは、もともとNHK専属女優である。テレビの影響力が増すにつれ、テレビにとどまらず映画・音楽・舞台・文筆・講演など各メディアを縦横無尽にかけまわる芸能人も増え、「自分の所属するプロダクションが作るものにしか出られないのは狭すぎる」ということでエージェンシーが必要になったわけだが、こうした歴史を踏まえて活動している芸能人は多くないと思う。
だって、みんな社畜根性なんだもん。
プロダクションとエージェンシーの大きな違いは、「上下関係か対等な関係か」ってところだと私は思う。
クソみたいな時代を終わらせるために
かつてプロダクションで働く芸能人は、社畜であった。「この会社に入って、この会社のつくる映画に出していただくんだ! 社長、お給料ありがとうございます! よろこんで殺人鬼の役をやります!!」ってなりがちだった(全員とは言わないが)。
それに対し、ひとつのプロダクションが作るものから一生出られないというんじゃ狭すぎるほどコンテンツ業界が多様化した現在、エージェンシーと働く芸能人は、「私は芸を磨く。あなたたちは営業をして。より大きな報酬を稼ぎ出すために、ここで殺人鬼役を受けることが役者としてのイメージにどう影響するか考えましょう」みたいなことができる。
なのに、不思議だ。
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