経済と歴史小説は密な関係?
藤野英人(以下、藤野) 今回、伊東さんが『江戸を造った男』で河村瑞賢という経済人を扱ったという点がとてもよいですね。教科書や小説で描かれるような歴史は基本、政治家と軍人の歴史だと思うのです。どうしても歴史そのものがそこに偏っているのではないかと。
でも、実は世の中を動かしているのは経済人です。経済という視点の中で、世の中が動いているということをもっと表現すべきだと思うし、その中からヒーローがもっと出て来てもいいのかなと。
伊東潤(以下、伊東) どうして経済人のヒーローが出て来ないのでしょう。
藤野 要するに商売人というものは何か汚いものだという士農工商的な考えが今でも残っているからではないかと思うのです。その考えを変えていくためにも、経済人のヒーローをもっと小説で取り上げる作家さんがいてもよいと思います。
今回この『江戸を造った男』を読ませていただいて、これからも、伊東さんにはこのような人物をひとりひとり取り上げていっていただければと思います。
伊東 ありがとうございます。他にはどんな人物がいいと思いますか。
藤野 他にもテーマとして、伊東さんに取り上げていただきたいものはたくさんあります。例えば幕末に薩摩長州に賭けた人と幕府に賭けた人がいたわけですけど、どちらに賭けたかで結果は雲泥の差だったわけですよね。そんな話もおもしろいと思います。
伊東 幕末のお金の動きは実におもしろいですね。僕は、資金力の差によって勝敗が決したと思っています。第二次長州征伐で、あれだけ簡単に連合軍が負けた理由というのは兵器の差です。その購入資金は長州藩が出したのは事実ですが、仲立ちをした薩摩藩や売った英国も少なからず援助していたことは事実です。それにより長州藩軍は、単独で幕府と佐幕派諸藩軍を打ち破るという快挙を成し遂げました。幕府の方も、小栗上野介や栗本
長篠の戦いは経済戦争?
藤野 それから、「長篠の戦い」※で織田軍が3000丁の鉄砲をどうやって調達したのかという話もおもしろいと思うのです。 ※長篠の戦い・・・天正3年、武田勝頼と織田信長・徳川家康の連合軍が三河国、長篠城の攻防に際して付近の設楽ヶ原に於いて衝突した合戦。信長は3000丁の鉄砲を用いたことで勝頼を破ったとされている。
伊東 それは、『天地雷動』と言う作品で書きました(笑)。
藤野 そうだったのですか!さすがですね。僕は大テーマだと思ったのですけど。
伊東 歴史の本を読んでいると、信長が3000丁の鉄砲をそろえたと当たり前のように書かれていますが、それを調達するにしても、摂州堺や江州国友村で内製するにしても、たいへんなことです。内製するのなら、製造ラインや工程をどうしたのか、どうやって検品して長篠まで運んだのか、焔硝(火薬)や弾丸の調達はどうしたのかなど、そんな背景の部分が抜け落ちています。もちろん戦争パートの描写は超絶技巧を駆使したド迫力なものですが、長篠の戦いが実は経済戦争だったということを、この作品で訴えたかったわけです。
藤野 面白そうですね。読ませていただきます。
伊東 さらに詳細を申し上げると、その直前に織田軍に伊勢長島が滅ぼされることで伊勢湾交易網が織田徳川連合の手中に入ったのです。それによって、それまで長島一向一揆の船手衆によって東国に運ばれていた焔硝が入ってこなくなった。そこで、焦った武田勝頼は積極策を取らざるを得ず、何としても徳川と織田を滅ぼして伊勢湾交易網を手に入れたいと思ったわけです。勝頼は勢力拡大というよりも、伊勢湾交易網が欲しかったので、まさに経済戦争です。
藤野 商業的視点から歴史の真実が見えてくるわけですね。
伊東 工業的視点もあります。当時の鉄砲は、交易によって国外から入ってきたものが大半で、その多くが中古品でした。つまり、買っても使えないものがとても多かったのです。すぐに故障するのも多く、部品も国内で製造できないので、無駄が多かったわけです。つまり鉄砲そのものはもちろん、部品も内製化が必要でした。それに目を付けたのが信長で、上洛するや堺をすぐに押さえます。今でも商業拠点としての堺ばかりが注目されますが、実は堺鋳物師の伝統があり、堺は全国有数の工業地帯でした。信長は堺湊よりも、そちらの方が欲しかったのではないかと僕は思っています。
今までの歴史小説というのは商業や工業の側面をあまり書いてこなかったので、斬新な視点だったと思います。おかげさまで『天地雷動』は拙著の中で三番目に売れた本となりました。それ以来、当時の経済やビジネスをしっかり研究し、戦争の背景を描いていくということを強く心がけるようになりました。
藤野 今のビジネスマンはビジネス書をよく読まれるけど、歴史本のなかには先人たちが考えたことがたくさん書いてあって、それを見出すことで歴史のおもしろさと経済のおもしろさの両方が楽しめるということがありますね。『天地雷動』は経済の動きと合戦の醍醐味の両方を楽しめるというコンセプトがいいですね。
伊東 仰せの通りです。僕の作品は、「読者を現場に連れていく」ことをモットーとしていますので、人間ドラマ部分だけでなく、長篠合戦の戦場シーンは、これまでにないほどのものになっています
得意分野を融合させる?
藤野 僕なんか仮説を立てるところまでは出来るのですけど、史料を集めて推測を入れながら本という形で書くとなると相当な技量が要りますね。 だから、こんな本を書けるのは凄いなと思いますし、尊敬の対象ですね。
伊東 結局は、そうした人のやらないことを強みとしないと、作家がオーバーフローしている文壇では生き残れないということです。つまり競争の激しさが切磋琢磨を生んでいるので、何事も競争が大切だと思います。僕より天才的な作家は腐るほどいますから、「己を知る」ことを原点として、そこから自分の強みが何かを考えて、生き残るために進化していくだけです。
藤野 伊東さんの強みとは何なのでしょうか。
伊東 自分の強みは「歴史解釈力」と「物語性」の融合です。「歴史解釈力」については、自分より優れた研究家がたくさんいますから、とても敵わない。一方、「物語性」についても、自分より優れたストーリー・テラーは山ほどいます。どちらか一方では、とても生き残ることはできない。しかし、その二つの要素がスパークする部分では、誰にも負けないという確信を持ったのです。
藤野 つまり「歴史解釈力」と「物語性」を融合させた伊東さんだけが書ける新しい歴史小説ですね。
伊東 しかも、その交差点には読者がたくさんいました。誰だって豪傑や忍者が一人で大活躍するような現実離れした作品よりも、リアリティのあるものを読みたいですからね。そこが自分の生きる道だということを知り、その部分を様々なバリエーションで描いていくことにしました。 つまり軸足を「歴史解釈力」と「物語性」の融合に置きつつ、題材によって、そのブレンド率を変えながら変化をつけていくのです。そうしたことを繰り返すうちに多様な作品群が形成されていきました。
藤野 なるほど。
伊東 自分の座右の銘でもある「Nothing left to prove(証明することは、もう何もない)」という領域に入りつつあることを感じます。 ただし「Nothing left to prove」には終わりはありません。書き続けられる限り、その座右の銘に、にじるように近づいていくだけです。筆を擱かざるを得ない時も、おそらく、その境地には到達はしていないでしょう。でもそれでいいんです。創造性を失い、出がらしのようになった老人作家にはなりたくありませんから。
どうして河村瑞賢なのか?
藤野 歴史解釈と物語性という面で見れば、おもしろい素材が溢れていてチャンスはまだまだありますよね。今回、『江戸を造った男』でその素材として河村瑞賢を選択したのはどんな理由からですか。僕は河村瑞賢好きなんですけど、今ではあまり知られていない人物ですよね。
伊東 河村瑞賢こそ江戸時代の基礎を築いた人物だと気がついたからですね。彼のことを多くの人に知ってほしいと思いました。江戸は元禄文化の華やかなりし頃、ロンドンとパリを凌ぐ100万という人口を抱える世界一の巨大都市に発展しました。都市を作っていくには、多くの人が快適に暮らせるようなインフラが必要です。江戸時代で言えば、水と食料がふんだんに供給できなければなりません。水の方は何とかなっても、食料は難しい。そこで各地に散らばる天領から江戸に米を運ぶことになります。当時は、山の多い陸路を使うのは無理な話で、海路しかありません。しかし海路を使っても様々な問題が発生します。瑞賢は立ちはだかる多くの問題を解決し、海運ルートを確立しました。同様に、治水工事や鉱山開発のプロジェクトに携わり、顕著な業績を収めていきます。つまり江戸時代初期のインフラを整備したのが、瑞賢だったのです。
藤野 河村瑞賢というと、大きな構想力を持っているだけではなく、同時に細かい測量技術であったり、航海術であったり、土木技術など非常に細かいディテールの積み重ねもしていますよね。そういう意味で非常に稀有な人であり、凄まじい人だったと思います。
伊東 そうですね。やはり「神は細部に宿る」ということわざにもある通り、大規模な計画でも細かい点まできっちりと詰めておくのが瑞賢の流儀です。そうした点からも、当たり前のことを当たり前にやるということが大切です。
藤野 伊東さんの印象に残っている、瑞賢の具体的なエピソードお聞かせいただけますか。
伊東 これまで天領からの城米廻漕がうまくいかなかった原因の一つが、過積載によって安全性がなおざりにされることにありました。しかし、これを摘出するのは難しい。城米廻漕に使われる船の形状、大きさ、積載量が違うからです。当時の船は石高という尺度で積載量が決まっていたのですが、一見しただけでは石高が分からず、自己申告に任せていました。しかしそれでは、それぞれの船ごとに安全な積載量を見積ることは難しい。そこで瑞賢は、画期的な方法を編み出しました。「下
藤野 『江戸を造った男』のなかに出てくる明暦の大火、これは天災ですけれども、ある意味では人災に近い部分もあって物凄い数の人が亡くなっていますね。そのインパクトにはあらためて驚かされました。
伊東 町全体が焼き尽くされ、住民全員が死んでしまったところもあったみたいです。
藤野 実はその時の状況やたいへんさを知らない人も結構多いですね。
伊東 そうなのです。その後の死体処理から江戸の町の再建まで、たいへんなことでした。ただし瑞賢は商人です。大火で財産を無にしてしまったのは皆と同じですが、誰よりも茫然自失から立ち直り、このピンチをチャンスに転じさせます。 つまり明暦の大火の後、江戸再建のために木材の需要が上がると考えた瑞賢は、木曽まで行って木材を買い占め、それを江戸に運んで売ることで、膨大な利益を得ました。もちろんそれだけでは、「先見の明があった」というだけですが、瑞賢はその利益で米を買い付け、被災者に炊き出しを行ったのです。これにより瑞賢は、実際の利益より大きい信望というものを得ました。
藤野 我々は東日本大震災で明暦の大火をある意味で追体験しているところがあるのですけど、この本を読んでいると僕らが現在、直面している問題と繋がっているところがありますね。瑞賢はもちろんですが、登場人物の保科正之も、大義ということを大事にしていますね。利益もありますが大義を重要視したところが大切で、そこがこの本の見どころのひとつだと思います。商売で儲けるためには何らかの大義が必要で、儲けた人は大義を果たした人が多い。そのことを多くの人に知ってほしいですね。商売で儲けた人はみんな悪人みたいな感覚がすごくありますからね。
伊東 何をやるにしても大義やビジョンは大事ですね。「もうけることは悪」というイメージを払拭し、「もうけることはいいことだ」という考えを広めていきたいものです。とくに瑞賢のように、もうけた金を吉原などでの遊興に使うのではなく、惜しげもなく人のために使ったり、次の事業に投資する商人は、再評価なされるべきだと思います。
構成:板嶋恒明
【重版記念連載中!】江戸という時代を縁の下から支えた一人の男がいた。
『江戸を造った男』
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