「役作りをしてません」を私たちは理解できるのか
高橋一生はある役を演じるにあたって、とかく役作りをしないそうなのだが、なぜかといえば、「(その役に)ジャンプしちゃうと、その人のことを意識しすぎて。本人、生きている時、そんな自分のこと分析できないので。たぶん役もきっとそうだろうと思うと、割とそのまま地続きで自分でいって、本(脚本)に書かれていることを忠実にやっていくということをやれば、別の人に見えるんじゃないかなと思って。結局、肉体は自分なんで」(『A-Studio』1月20日放送)と言う。多くの人は彼の見解に納得するだろう。しかし、なぜ私や貴方は納得できたのだろう。なぜって、私たちは日頃、誰かを演じてなんかいないのだから。「役作り」ってとってもデリケートな作業であるはずだが、視聴者はかなり大雑把にシェアしている。
私たちは、どうすれば、高橋一生の「役作りをしない」を可視化・明文化することができるのか。少々残酷な結果になろうとも比較対象を設定する必要があって、月9ドラマ『突然ですが、明日結婚します』で初の演技に臨んだflumpoolのボーカル・山村隆太を観てみれば、「役にジャンプして、その人のことを意識しすぎている」状態がわかる。ドラマ初挑戦で「結婚したくない訳あり男・人気絶頂イケメンアナウンサー」(ドラマHPより)を演じるとなれば、その役柄を意識しまくることから始めるはず。「恋する相手と結婚したい女・専業主婦が夢の優秀なOL」(同前)を演じる主演の西内まりやも、意識しまくる演技を貫いている。「私たち、演じています!」という演技の集積を見させられると、「演じてんじゃねーよ!」という感想が漏れるのだが、その感想は理不尽なのだろうか。
ラテ欄を見ただけで犯人が分かる
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